(『コロンビアを知るための60章』から抜粋)
1928年に、ユナイテッド・フルーツ社のバナナ農園で、軍による労働者の虐殺事件が起きた。
エリエセル・ガイタンは、この事件について政府責任を追及して、1930年の選挙における保守党の敗北に重要な役割を果たした。
29年にアメリカ発の世界大恐慌が起きると、コロンビアも経済危機になった。
この様な情勢により、1930~46年の間は、自由党政権の時代となった。
1930~34年のエレラ政権下では、保守党支持者の武装蜂起が起きた。
34~38年のプマレホ政権は、農民や労働者のための社会改革を推進して、国民から支持された。
42年にプマレホは再選したが、かつての改革路線から撤退したために人気を失い、経済政策でも失敗した。
そして45年に、任期半ばで辞任した。
暫定大統領にはカマルゴが指名されて、カマルゴは保守党の協力を得て任期を全うした。
カマルゴ政権での「2大政党の連立政権」の経験は、後の「国民戦線(国民協定)」へと受け継がれる事になった。
(2013.11.26.作成)