1946年に政権をとった保守党は、
自由党を弾圧しリーダーのガイタンを暗殺する
それにより内戦となる

(『コロンビアを知るための60章』から抜粋)

1946年の大統領選挙には、自由党のカリスマ指導者エリエセル・ガイタンが登場した。

ガイタンは、社会主義思想を研究し、寡頭政治(少数の者が政治権力を独占する形態)を批判して、農民や労働者の権利保護に力を入れていた。

1928年に起きた、ユナイテッド・フルーツ社のバナナ農園での、軍による労働者の虐殺事件では、ガイタンは政府責任を追及して、30年の選挙における保守党の敗北に重要な役割を果たしていた。

自由党はガブリエル・トゥルバイを公認候補にしたため、ガイタンは独立候補として挑んだ。

自由党の票が分裂した結果、保守党のオスピナ・ペレスが当選した。

ペレス政権は、警察を使って自由党を弾圧し、自由党員はゲリラとなって対抗した。

この抗争で、47年までに死者は1.4万人となった。

ガイタンは、1947年に自由党の党首となり、非暴力による解決を目指した。
民衆の熱狂的な支持を背景に、次期大統領は確実と見られた。

ところが、48年4月9日に、彼は暗殺されてしまった。

「ガイタン暗殺」を知った民衆は、怒りを爆発させて暴動を起こした。
首都ボゴタでの暴動は2日間続き、1500人~3000人が死亡した。

この暴動は地方へも飛び火して、保守党と自由党による、本格的な内戦が始まった。

エリエセル・ガイタンは、1000ペソ紙幣の肖像画として、今も民衆と共に生きている。

(2013.11.26.作成)


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