ナポレオンがスペインに侵攻すると、独立運動が盛り上がる

(『コロンビアを知るための60章』から抜粋)

アメリカの独立やフランス革命が起きると、それに触発されて、ヌエバ・グラナダ副王領で独立運動が盛り上がり始めた。

こうした中、1808年にナポレオンがスペインに侵攻した。
これをきっかけに、中南米では独立への動きが一気に加速した。

ヌエバ・グラナダ副王領では、1809年にスペインの統治に代わる「政治委員会」が組織されて、全国に広がっていった。

1810年7月20日には、ボゴタにいる副王が追放された。

この日が、「コロンビアの独立記念日」になっている。

各州の自立志向が強かったため、連邦主義に基づく「ヌエバ・グラナダ諸州連合」が創られた。

その一方で、クンディナマルカ州は、独自に憲法を制定して、中央集権国家を建設しようとした。

連邦主義者と中央集権主義者の対立により、ヌエバ・グラナダは内戦になった。

スペインは、1815年に1万人の援軍を本国から送り、スペイン軍は次々と都市を落として、16年には副王領が復活した。

(『ラテン・アメリカ史』中屋健一著から抜粋)

南米大陸のスペイン支配からの解放には、1810年の蜂起~1824年のアヤクチョの戦いまで、14年を要した。

この解放・独立の戦争で活躍したのは、南米の北部ではシモン・ボリバル、南米の南部ではサン・マルティンの、2人の英雄だった。

2人は、共に勇気のある軍人で、戦争計画を遂行する能力に優れていた。

ボリバルは感情的で積極的なのに対し、サン・マルティンは寡黙で地味だった。

ボリバルは名誉欲が強かったが、サン・マルティンは名誉も報酬も受けなかった。

この2人は、政治家としての才能は無く、独立後には失意のまま世を去っている。

(2013.10.23.作成)


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