(『ラテン・アメリカ史』中屋健一著から抜粋)
1822年7月26~27日に、南米の2大解放者である、シモン・ボリバルとサン・マルティンが、エクアドルのグアヤキルで会談した。
27日の会談の後、サン・マルティンはあわただしくその夜に出帆してしまう。
そして彼は、故国アルゼンチンのメンドーサに戻った。
サン・マルティンが、なぜ自分が解放したペルーをボリバルに任せて去ったのかは、今でも謎となっている。
サン・マルティンは、妻が亡くなっていたので、娘を連れてベルギーに移住した。
そして1850年に、ブローニュで淋しく他界した。
(2013.10.23.作成)