(『フセインの挑戦』小山茂樹著から抜粋)
現在のクウェート民族の起源は、アラビア半島のネジュド地方に生活していたアネイザ部族連合に属するバニ・ウトーブ氏に求められる。
アネイザ部族は名門の家柄で、現在のサウジアラビアの王室であるサウード家や、バハレーンの首長であるハリーファ家も、この一族である。
17世紀の初めにバニ・ウトーブ氏は移住を始め、1710年頃にクウェートに定着した。
ウトーブ氏の中で有力なファミリーだったのは「サバーハ家」で、1756年にサバーハ1世が首長に選出された。
この時期にクウェートを訪れたヨーロッパの探検家ニーブールは、「人口は1万人で、港には800隻の船が繋留され、住民は漁業と真珠採取に従事している」と報告している。
この時期には、クウェート一帯はオスマン・トルコ帝国の支配下にあった。
1776年に、オスマン・トルコとペルシアのザンド朝が戦争を始めると、バスラ(現イラク)は3年間ペルシアの手中に落ちた。
このためイギリスは、バスラにあった東インド会社を一時的にクウェートに避難させた。
その後、1793年にイギリスは、正式に東インド会社の拠点をクウェートに移した。
こうしてクウェートは、イギリスとオスマン・トルコの勢力争いに巻き込まれていった。
(2014年8月19日に作成)