(『フセインの挑戦』小山茂樹著から抜粋)
ムバーラク首長(在位1896~1915)の有名なエピソードに、サウジアラビア建国の父であるアブドゥル・アジーズ・イブン・サウードの支援がある。
当時のサウジは(アラビア半島は)、サウード家とラシード家が激しく争っていた。
元来ラシード家はサウード家に従う者だったが、サウード家の内紛に乗じて力をつけ、1890年についにサウード家を追い出した。
サウード家の当主アブドゥル・ラハマンとその長男アブドゥル・アジーズは、バハレーン→カタールと放浪し、クウェートに流れ着いた。
当時のクウェート首長はムハンマドだったが、サウード父子を保護した。
ムハンマドの弟であるムバーラクは、アブドゥル・アジーズを寵愛し、クーデターを成功させて首長になってからはさらに庇護をした。
クウェートで成人したアブドゥル・アジーズは、1902年にリヤード城を奇襲して奪い、サウジ建国の礎石が切り拓かれる事になった。
1990年8月にイラク軍がクウェートに侵攻した時、首長らはサウジに亡命した。
100年前のサウード家のクウェート亡命を想起すると、歴史の皮肉なめぐり合わせを感じずにはいられない。
(2014年8月19日に作成)