(『フセインの挑戦』小山茂樹著から抜粋)
イラン・イラク戦争が始まると、クウェートでは1986年に国会が停止された。
戦争が終結すると、89年11月に国民は、国会再開の要求を突きつけた。
彼らは併せて、政府による事前検閲についても強く批判した。
国会議員らは、全有権者の40%にあたる、2.5万人の署名を集めて提出した。
しかしジャービル首長はこれを拒否したため、各地で集会やデモが行われた。
1990年に入ると、ジャービル首長は弾圧に乗り出した。
4月22日には、首長は勅令を発して、「国会に代えて、立法権のない諮問評議会を設置する」と公表した。
この公表により、国民の反発はさらに激化した。
政府の弾圧も熾烈になり、4月26日には最有力者のサアドゥン国会議長宅を包囲し、5月に入ると議員達も逮捕された。
6月10日には諮問評議会の選挙が行われたが、投票率は50%以下で、多くの人がボイコットした。
(そして8月2日にイラク軍が攻めてきた)
○村本のコメント
このような混乱があったからこそ、イラクは好機とみて攻め込んだのでしょう。
歴史を見ると、攻める方が悪いのは当然ですが、攻められる方が自滅しているパターンはとても多いです。
(2014年8月20日に作成)