(『イスラム・パワー』松村清二郎著から抜粋)
1916年のサイクス・ピコ協定、20年のサン・レモ協定において、英仏2国間の秘密協定が成立した。
これによって、レバノンはフランスの統治下に入った。
形式的には、国連からの委任統治という事になっていた。
フランスは、それまでシリア領だったベイルートなどをシリアから切り離して、人為的に「大レバノン」を誕生させた。
この領土拡大は、主としてマロン派コミュニティのためになされた。
マロン派としては、「領土拡大は、シリアからの独立性を保全する助けになる」と考えていた。
しかし、新たにレバノン領にされた土地にいたイスラム教徒たちは、レバノンへの統合には反対だった。
1926年5月に、『レバノン共和国』は正式に生まれた。
支配権は、フランスの掌中にあった。
第二次大戦が始まると、フランスはドイツに敗れて属国となった。
ドイツへの従属を認めないドゴール将軍たちは、イギリスと結びついた。
イギリスの圧力により、レバノンでは1943年に選挙が実施された。
選挙ではレバノンの独立を主張する者たちが、大勝利した。
フランスは、新しい政府を創った者たちを一斉に逮捕したが、イギリスの圧力で釈放となり、ついにレバノンは完全な独立国となった。
レバノンは、45年に国連に加盟した。
(2013年4月11日に作成)