独立はしたが、国民は一つにまとまらなかった

(『イスラム・パワー』松村清二郎著から抜粋)

レバノンの独立後の課題は、「各宗派の共存」であった。

独立前の1943年に、『国民協約』によって「いかなるコミュニティも、他のコミュニティと対立してはならない」と決められていた。

政府・議会については、『コンフェッショナリズム』というシステムが採用され、各宗派ごとにポストを固定した。

これにより、宗派への忠誠心は強まったが、国民意識は芽生えなかった。

レバノンでは、学校も裁判所も宗派ごとに異なって運営されている。

政府の権限は弱く、そのため国軍も弱い。

レバノンの生活は、ファミリー(部族)が中心で、家父長制が原則となっている。

大統領や首相などの有力者は、それぞれが部族の家父長であり、私兵を抱えている。

(『シリアとレバノン』小山茂樹著から抜粋)

『国民協約』は、公的機関のポストを宗派で配分することを定めた。

大統領はマロン派キリスト教、首相はイスラム教スンナ派、国会議長はイスラム教シーア派、副首相と国会副議長はギリシア正教、といった具合である。

これは、フランス統治時代の慣行を制度化したものだ。

国民協約は、次の立場を表明していた。

① レバノンは完全な独立国である

② レバノンはアラブ国家である

③ 政府は宗派主義を排除する努力をする

①と②は重要な表明で、キリスト教マロン派がヨーロッパ諸国に保護を求めないこと、ムスリムはレバノンを大シリアの一部と考えないこと、を定めていた。

この合意を背景に、レバノンは1960年代の末まで政治的な安定を得た。

レバノンは憲法によって、大統領を元首とし、一院制の内閣をもつ。

大統領は国会によって選出され、任期は6年。

大統領は強い権限を持ち、閣僚を指名して首相を任命する。

参政権は、21歳以上の成人すべてに与えられている。

○村本のコメント

国民協約における政府ポスト配分の取り決めは、他宗教の国ゆえの苦肉の策ですね。

中東の国は、『部族が中心で、家父長が絶大な権力を持っている』というパターンがとても多いです。

そういった社会システムを勉強していると、「日本の鎌倉時代みたいだな」と思う事があります。
人々の意識が変わる必要があるのではないか、と感じますね。

それぞれが私兵を抱えている、というのはレバノン特有ですが、それも鎌倉時代の武士たちっぽいです。

(2013年4月11日に作成、2016年11月10日に加筆)


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