貧しいシーア派の人々が、首都ベイルートに大量流入する

(『イスラム・パワー』松村清二郎著から抜粋)

1948年に、隣国としてイスラエルが誕生し、レバノン南部との国境が閉鎖された。

さらに50年には、シリアとの経済連携が解消され、シリアと隣接する北部と東部の経済が破綻した。

これで苦しめられたのは、シーア派コミュニティであった。

シーア派コミュニティは首都ベイルートへ向かい、ベイルート周辺にスラム街を形成した。

このシーア派コミュニティのベイルート流入は、48年以降の第1波、70年代の第2波、82年のイスラエル軍のレバノン侵攻に伴う第3波がある。

この流入で、ベイルートの多数派を形成することになった。

ベイルートには、国民の大多数が住むようになり、レバノンは「小さな町や村からなる共和国」から「都市国家」へと変容していった。

(2013年4月11日に作成)


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