(『イスラム・パワー』『大衝突』から抜粋)
1936年に、米国の石油メジャー「テキサコ」が、サウジの石油利権に参加した。
38年には、大規模な油田が発見され、「アラビアン・オイル・カンパニー(通称アラムコ)」が設立された。
44年には、カリフォルニア・アラビアン・スタンダード社は「アラムコ」に社名を変更した。
47年には、アラムコに「エクソン」と「モービル」が資本参加した。
サウジは、38年にはイタリアから武器供与を受け、39年にはナチス・ドイツと国交を結んだ。
当時のサウジは、石油会社から前払い金をもらい、英国からは食糧と年間100万ポンドの援助を受けていた。
第二次大戦で疲弊した英国は、この負担の肩代わりをアメリカに求めた。
だがアメリカは、これを拒否した。
1942年春に、アメリカの政府使節団が初めてサウジを訪問した。
これが、米国が英国に代わってサウジのスポンサーになる、きっかけとなった。
アメリカは第二次大戦中に、石油の重要性を再認識した。
石油が無ければ、戦車も戦闘機も動かない。
石油確保が、軍事大国アメリカにとって死活問題となった。
そして、世界の石油埋蔵量の4分の1を擁するサウジに、アメリカは接近していった。
1943年初頭には、テキサコとカリフォルニア・スタンダードのトップが米国政府に働きかけて、「サウジに武器供与を認める」ように要請した。
同年2月18日にルーズベルト大統領は、「サウジの防衛は、アメリカの防衛にとって死活問題である」と宣言した。
45年2月に、ルーズベルト大統領とイブン・サウード国王は初めて会見した。
第二次大戦後には、サウジはアメリカから兵器を買い始めた。
両国は、お互いに相手を必要とする関係になったのである。
第二次大戦の終了後、サウジへのアメリカの関与は大幅に増大した。
軍事面では、ダラハン基地協定が延長されて、武器援助がなされた。
1953年11月19日に、イブン・サウードは死去した。
62年にダラハン基地協定は、サウジの要望で失効した。
(2013年3月28日に作成)