イラン革命が起きた時に、サウジで革命が起きなかった理由

(『イスラム・パワー』松村清二郎著から抜粋)

1979年2月の「イラン革命」と、それに続いて起こった「イラン・イラク戦争」は、サウジにとっても問題だった。

イランとサウジは隣国だったからだ。

サウジはイランの脅威に対処するために、アメリカや中国やイギリスから兵器を購入した。

1979年11月10日に、サウジのメッカ大神殿が武装占拠された。

占拠者の大多数(300~500名)がサウジ国民だったため、サウジでも革命が起きるかと西側諸国は心配した。

しかし、革命は起きなかった。

サウジで革命が起きなかった理由としては、以下の3つがある。

① サウジの人口はイランの8分の1で、石油収入の恩恵が
  社会の全階層に及んでいる

② サウジでは、宗教界が政治に参画している
  (イランでは、宗教指導者が政治から排除されていた)

③ サウジは部族的な伝統によって、独特の民主主義を持っている

  王族はマジョリス(国王に国民が直接陳情できる謁見の間)
  制度を通じて、絶えず民衆と接触している

サウジでは憲法が制定されておらず、立憲君主制ではなく「専制君主制」である。

現体制の最大の問題は、王位継承制度がはっきりしていない事である。

(2013年3月28日に作成)


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