第6代国王アブドッラー(2005~15年)

(『サウジアラビアを知るための65章』から抜粋)

前国王のファハドは、1995年に脳卒中で倒れた。

それ以来、アブドッラー皇太子が政権を運営していた。

アブドッラーは、初代国王イブン・サウードの10番目の男子だ。

母親は、かつてサウード家と対立したラシード家の出身である。

1982年にハーリド国王が死ぬと、ファハドが国王となり、アブドッラーは皇太子兼第一副首相に任命された。

当時、ファハドは革新的、アブドッラーは保守的とされた。
アブドッラーは親米路線などに異を唱えて、両者は対立した。

その後、対立は収束していった。

1999年にファハドが病床に伏すと、その後はアブドッラーが実権を握った。
2005年にファハドが死去すると後を継いだ。

アブドッラーの基本姿勢は、「アラブ重視」である。

イランとの関係改善も、皇太子時代に成し遂げた。

2003年のイラク戦争では、米軍のサウジ国内の基地使用を認めず、米軍はサウジから撤退することになった。

05年には、地方での議会選挙を初めて実施した。

原油価格が低迷した1998年を転機として、サウジは改革を行うことにした。

99年には「最高経済評議会」を設立。
00年には外国からの投資を目的に「外国投資法」を発布して、「総合投資院(SAGIA)」を設置した。

02年には、郵便事業などを民営化した。

WTOへの加盟も、05年12月に認められた。

これにより、経済改革が必要となった。

サウジでは若者の失業率の高さが問題となっているが、05年に外国人労働者から自国民への転換を図る政策を打ち出した。

サウジは、原油価格の高騰による「バブル状態」が続いている。

バブルに浮かれずに堅実な改革が求められる。

○王位継承の問題

サウジの王位継承は、1992年に制定された「統治基本法」により、「初代国王のイブン・サウードの直系の男子子孫のみに許される」と定められた。

2代目からは全てがイブン・サウードの息子である。

現皇太子のスルタンも、イブン・サウードの息子だ。

現国王のアブドッラーと皇太子のスルタンは、共に80歳を超えている。

スルタンの次の皇太子は決まっていない。

イブン・サウードの孫に継承するかどうかが注目される。

(※2015年1月にアブドッラーは亡くなった。
  スルタンはすでに病死しており、サルマーンが後を継いだ。)

(2016年11月11日に作成)


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