(『イスラム・パワー』松村清二郎著から抜粋)
サウード家は、処刑されたアブダッラーの孫であるファイサルの時代に、復権をした。
そして「ワッハーブ運動」による征服事業に着手し、中部・東部のアラビア半島を支配下に収めた。
(ワッハーブ運動とは、ワッハーブが説いた思想である『イスラム教・ワッハーブ派』を広めようとする運動の事)
これを見たイギリスは、使者を派遣して、「ペルシャ湾周辺のイギリス支配地域には、入ってくるな」と警告を発した。
ファイサルの死後、サウード家は再び没落した。
オスマン・トルコ帝国は、サウード家のライバルであったラシード家の当主ムハンマド・ラシードに、サウード家を倒すように仕向けた。
オスマン帝国とラシード家に挟み撃ちされたサウード家は、1891年にクウェートに亡命をした。
(2013年3月27日に作成)