(『イスラム・パワー』松村清二郎著から抜粋)
クウェートに亡命したサウード家の中には、12歳だったイブン・サウードもいた。
1897年にラシード家の当主ムハンマド・ラシードが死去すると、イブン・サウードは全く勝算のないまま、1901年9月に故郷奪還のために出陣した。
「ラシード側はオスマン帝国の支援を得ている」との情報を得たが、イブン・サウードは物怖じをせず、1902年2月に故郷のリヤドを奇襲攻撃して占領した。
この時、イブン・サウードは22歳だった。
(2013年3月27日に作成)
(『フセインの挑戦』小山茂樹著から抜粋)
クウェートのムバーラク首長(在位1896~1915)の有名なエピソードには、サウジアラビア建国の父であるアブドゥル・アジーズ・イブン・サウードへの支援がある。
当時のサウジは(アラビア半島は)、サウード家とラシード家が激しく争っていた。
元来ラシード家はサウード家に従う者だったが、サウード家の内紛に乗じて力をつけ、1890年についにサウード家を追い出した。
サウード家の当主アブドゥル・ラハマンとその長男アブドゥル・アジーズは、バハレーン→カタールと放浪し、クウェートに流れ着いた。
当時のクウェート首長はムハンマドだったが、サウード父子を保護した。
ムハンマドの弟であるムバーラクは、アブドゥル・アジーズを寵愛し、クーデターを成功させて首長になってからは、さらに庇護をした。
クウェートで成人したアブドゥル・アジーズは、1902年にリヤード城を奇襲して奪い、サウジ建国の礎石が切り拓かれる事になった。
1990年8月にイラク軍がクウェートに侵攻した時、クウェート首長らはサウジに亡命した。
100年前のサウード家のクウェート亡命を想起すると、歴史の皮肉なめぐり合わせを感じずにはいられない。
(2014年8月19日に作成)