(『イスラム・パワー』、『シリアとレバノン』から抜粋)
1908年に、イラン南西部のメスジッド・エ・スレマーンで、石油が発見された。
これを見た英国は、「アングロ・ペルシャ石油」(イランの石油利権を握る英国人の会社)を国策会社にした。
第一次大戦が終結すると、英国は「ドイツの代わりに、フランスをメソポタミアの石油利権に加える」という秘密協定を、フランスと結んだ。
1920年の『サン・レモ協定』が、それである。
これは、1916年の『サイクス・ピコ協定』を補完する内容である。
英仏は、1920年4月にサン・レモ会議を開いて、中東地域を委任統治という形で支配する事を決めた。
結局、イギリスは「パレスチナ、ヨルダン、イラク」を掌中にし、フランスは「シリア、レバノン」を獲得した。
しかしサン・レモ協定には、新興勢力のアメリカが反対をした。
その結果、1928年には、アメリカの石油メジャーである「スタンダード・オイル・ニュージャージー(後のエクソン)」と「スタンダード・オイル・ニューヨーク(後のモービル)」が、利権に加わった。
さらに、ここにシェルとCFP(フランス石油)の2社を加えた合計5社は、「中東の石油利権でお互いに抜け駆けをしない」との秘密協定を結んだ。
これは、『赤線協定』と呼ばれている。
(2013年3月28日に作成)