タックスヘイブンの一等国 スイス① その歴史

(『タックスヘイブンの闇』から抜粋)

1932年10月26日に、スイスのバーゼル商業銀行のパリ事務所が、脱税関与の容疑で捜索された。

脱税容疑者のリストは2000人に達し、フランスの各界の人々も含まれていた。

2人の聖職者、12人の軍幹部、数人の元閣僚、プジョー家、などである。

「こうした脱税で、フランスは毎年40億フランの税収を失っている」と推定された。

当時で、これは途方もない額である。

当時は、世界大恐慌の真っ只中で、フランスは緊縮予算を組んでいた。

スイスは、フランスからの協力要請をすべて断った。

そしてスイスのメディアは、「これはスイスへの攻撃だ」と息まいた。

スイスの銀行たちは、「銀行が秘密保持に違反したら、有罪になる」という法律の制定を求めた。

(顧客情報の守秘性を、法律で確立しようとしたのである)

スイス政府は、1934年に法律を可決し、銀行が秘密保持することを義務づけた。

「スイス銀行の守秘性は、ナチス・ドイツからユダヤ人資産を保護するために導入された」という説は、スイスの銀行が広めた作り話である。

スイスは、深い谷に隔てられた独立独歩のコミュニティーが、緩やかに結びついた国として誕生した。

おおまかに言って、4つの言語圏がある。

①ドイツ語圏  ②フランス語圏  ③イタリア語圏  ④ロマンシュ語圏。

スイスの「中立性」の伝統は、1815年のウィーン会議で公式に認められた。

スイスは、極めて分権的な仕組みをとっており、「連邦政府」「26の州」「2750あまりの市町村」が、それぞれ課税権を有して、3分の1づつ徴税している。

州や市町村が競って税率を下げるので、多くの企業が進出した。

例えばツーク州は、2.7万の企業を受け入れている。
住民4人につき1社の割合だ。

この州は、2001年に金融資本家のマーク・リッチが、アメリカの司法当局から逃亡中に住んでいた場所でもある。

スイスの政治は、集団の意思を優先しなければならず、白熱した議論は見られない。

スイスの内閣に相当する「連邦参事会」は、異なる政党から成る7人のメンバーで構成される。

スイスは、山の多い地形のため細分化されてしまい、労働運動の伝統がない。
そのため、富の不平等さがある。

19世紀の後半に、ヨーロッパ諸国が帝国主義を打ち出して拡大路線を採ると、スイスの銀行は栄え始めた。

スイスは中立性によって、各国が交戦すると両方とビジネスをし、中立で安全なのでマネーがどっと入ってきた。

スイスは、各国にお金を貸した。

スイスの歴史家であるジュール・ランズマンは、「イングランド銀行から東インド会社まで、スイスが関与しない投資は皆無だった」と記している。

第一次世界大戦が始まり、ヨーロッパ諸国が戦費をまかなうために増税をすると、スイスには富裕層のマネーが脱税をしようと集まった。

ヒトラーが政権につくと、安全なスイスにはさらにマネーが集まった。

スイスは、1933年4月に(ヒトラーが政権についてから数週間後に)、ユダヤ人難民の亡命を拒否する法律を制定した。

スイスの警察局長・ハインリッヒ・ロスムントは、「我々は、ユダヤ人とりわけ東方からのユダヤ人の移住を容赦なく拒否して、我々自身を守らなければならない」と主張した。

ロスムントは1938年に、国境で拒否するのを容易にするために、ゲシュタポを説得してユダヤ人のパスポートに「J」のスタンプを押させる事にした。

1939年に第二次大戦が始まると、スイスはさらに制限を強化した。

こうした政府の措置を、スイス国民の多くは声高に抗議した。

戦争の間ずっと、ドイツの高官や企業は、スイスに富を蓄えた。

ドイツ経済省は39年9月に、海外資産を隠すために、スイスを拠点とする『特別外国為替の管理局』を新設した。

毒ガスなどを製造していたドイツ化学メーカー大手のIGファルベンや、ヒトラーやゲッベルスの代理人たちは、ヨーロッパ各地から略奪した貴金属や美術品を、スイスに保管した。

ヒトラーがスイスに侵攻しなかった一因は、スイスとリヒテンシュタインが「ナチスの金庫」だったからである。

スイスは、ヒトラー政権に積極的に加担し、1941年にドイツの外貨準備が底をつくと、スイス政府は8.5億スイス・フランの融資をし、スイス・メーカーは兵器を供給した。

スイスは好況となり、親ファシストの金融業者と化していた。

連合国は、44年のノルマンディー作戦後に、スイスに流入するナチスの略奪品が激増したのに気付いた。

中南米に向かうナチスの財産を積んだ船も、増えた。

連合国は、ドイツの資産を追跡・押収する作戦を始めた。

1944年9月に、スイス銀行協会は「ドイツとの協力を停止する」と発表した。

だがこれは自己規制にすぎず、ドイツの隠し財産を隠匿し続けた。

イギリスはスイスを擁護し、チャーチル首相は44年12月に演説で、「栄誉を与えられる最大の権利を持つ国」とスイスを称賛した。

だがこれは、スイス銀行には絶対に当てはまらない言葉だった。

45年12月に、スイスは譲歩をして、ドイツ資産の凍結と本来の所有者への返還を約束した。

しかしスイスは情報開示をせず、アメリカをイライラさせた。

イギリス政府は情報開示に反対したが、それはスイス銀行にあるイギリス高官たちの口座が調べられる恐れがあったからだ。

スイス銀行は自主的な監査をする事になり、ナチスの資産は48.2万フランのみ見つかった。

その後、ユダヤ人団体からの圧力を受けて、1956年に86.2万フランのナチスが奪ったユダヤ人資産を見つけ、95年には3870万フランが見つかった。

1990年代になると集団訴訟も進行し、スイスの銀行は98年8月に、12.5億ドルの和解金を支払うことに同意した。

(2014.3.11.)


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