(『タックスヘイブンの闇』から抜粋)
ジョン・メイナード・ケインズの伝記作者として有名なロバート・スキデルスキーは、こう書いている。
「イギリスにとっての第二次大戦は、2つの戦争だった。
1つはナチス・ドイツとの戦争、もう1つはアメリカとの戦争だ。
ケインズは、イギリスの金融を守るために、アメリカと戦った。」
イギリスとアメリカは、金融分野での優位をめぐって対立し、解決策を出すまで随分と時間がかかった。
ケインズが広く世に認められたのは、1919年の『平和の経済的な帰結』でだった。
彼はこの論文で、こう述べた。
「第一次大戦後に、ドイツに課せられた巨額の賠償金は、ドイツを荒廃させて、やがてヨーロッパも荒廃させる結果になる。
大戦後のこの平和は、理不尽なものであり、不幸を後世に残す。」
この指摘は正しく、ドイツの荒廃はヒトラーの台頭を生んだ。
ケインズは、確率論に関する本も書いており、バートランド・ラッセルは「この本は、いくら褒めても褒め足りない」と絶賛している。
ケインズは、無神論や反戦を唱える異端児だったが、イギリス支配層の一員でもあった。
イングランド銀行の取締役や、イートン校の理事などを歴任している。
彼は、1929年からの世界大恐慌を見て、『雇用、利子および貨幣の一般理論』を発表した。
この著作は、貧困や失業を緩和する大きな希望を提供した。
ケインズが他界すると、彼を批判する人々は、彼の理論を社会主義や共産主義と結びつけようとした。
アメリカの右派は、ケインズの教えを「邪悪な考え」と攻撃した。
最近のアメリカでも、オバマ大統領が公共事業によって経済を立て直そうとするのに対して、「ソ連式のやり方だ」との批判が出た。
だが、ケインズは社会主義者ではなく、マルクスやエンゲルスを嫌っていた。
彼は、「政府の介入は、あくまでも一時的な応急措置であり、民間の自発性が大切だ」と信じていた。
彼は、資本主義を葬ろうとしたのではなく、救おうとしたのである。
19世紀には、「自由貿易は、世界に繁栄と平和をもたらす。なぜなら、自由貿易によって各国は経済的に繋がりを強め、戦争ができなくなるからだ。」との考えが主流であった。
ケインズも、大恐慌の以前はそう考えていた。
しかし大恐慌後に、彼は「諸国間の経済的な繋がりは、必ずしも国際平和を守るわけではない」と考えを改めた。
彼は大恐慌の惨状を見て、「過去の経験を踏まえると、出来る限り国内生産をした方がいい。特に金融は、主として国内の活動に絞ろう。」と主張するようになった。
1929年からの世界大恐慌は、「規制緩和」「自由主義経済」「過剰債務」「大きな経済格差」「強気相場」から生まれた。
大恐慌の直前には、アメリカでは所得上位1%が、全体所得の25%を占めていた。
当時はタックスヘイブンはまだ少なく、ヨーロッパの富裕層はスイスに頼っており、イギリスの富裕層はチャネル諸島やマン島を重用していた。
1937年にアメリカの国務長官は、ルーズベルト大統領に送った書簡でこう指摘している。
「アメリカの脱税者たちは、バハマ、パナマ、イギリス領のニューファンドランド島に、個人持ち株会社を設立しています。
こうした会社は、外国の弁護士を通じて設立され、ダミーの設立者やダミーの取締役を据えています。
一般の国民は、こうした脱税をしません。
富裕層の脱税は、一般国民に余分な負担をさせています。」
(2014.3.11.)