(『タックスヘイブンの闇』から抜粋)
カリブ海のオフショア・システムの起源は、アメリカのマフィアにある。
1931年にアル・カポネ(アメリカのマフィアの大ボスの1人だった人物)が脱税で有罪になると、同業者のマイヤー・ランスキーは『カネをアメリカ国外に出し、きれいに洗ってから国内に戻す仕組み』を作った。
ランスキーは、1932年にスイスに口座を開き、そこでローンバックの手法を完成させた。
カネをスイスの秘密口座に入れるのだが、おそらくリヒテンシュタインの匿名会社を経由させたと思われる。
スイスの銀行は、そのカネをアメリカ国内のマフィアに貸し付ける。
これでカネはきれいになって、アメリカに戻る。
マイヤー・ランスキーは、1937年にキューバでカジノ経営を始めた。
キューバは、事実上はマフィアのためのマネー・ロンダリング・センターだった。
マフィアとキューバ指導者の結びつきは、キューバ民衆の怒りをかき立て、1959年のカストロ革命につながった。
ランスキーはその後、マイアミに移住した。
そして、第2のキューバとして、バハマを開発しようとした。
バハマはイギリスの植民地で、少数の白人商人に支配されていた。
アメリカのマフィアが進出しても、イギリスは何もしなかった。
バハマの財務大臣であるスタッフォード・サンズは、ランスキーから180万ドルの賄賂を受け取っていた。
サンズは、「銀行の守秘性を強化すれば、バハマは10億ドル以上のダーティー・マネーを獲得できる」と語っていた。
多くのバハマ人は、マフィアとの癒着に不満を持ち、1967年には「人民に力を」と主張する政治家リンデン・ピンドリングが首相となった。
だが、ランスキーはピンドリングにも賄賂を渡しており、カジノとオフショア産業は続いた。
1973年にピンドリングは、バハマを完全な独立へと導いた。
マフィアらは一斉に逃げ出した。
ミルトン・グランディはその理由を、こう説明する。
「ピンドリングが銀行に打撃を与える言動をしたからではなく、単に彼が黒人だったからだ」
そしてダーティー・マネーは、バハマの隣りのイギリス領ケイマン諸島に流れ込むようになった。
アメリカ・マフィアのお抱え弁護士であるシドニー・コーシャックは、アメリカ・マフィアの真のキングメーカーだった。
コーシャックは、数人のハリウッド俳優の後ろ盾にもなっており、その1人はロナルド・レーガンだった。
(2014.5.9.)