イギリス圏のタックスヘイブン①
ケイマン諸島①

(『タックスヘイブンの闇』から抜粋)

イギリス領のケイマン諸島は、カリブ海にある。

ケイマン諸島は元々は、銀行は1つだけ、舗装された道路は1本、電話網はない、状態だった。

これが、1967年に初の信託法(ミルトン・グランディが草案を書いた)を公布すると、すぐにインフラ整備が行われた。

当時のイギリス公文書からは、政府内部で意見が2つに割れていた事が分かる。

大蔵省(特に内国歳入庁)は、タックスヘイブンにもケイマン諸島のやり方にも反対していた。

アメリカの税務当局も激怒していた。

それに対し、イングランド銀行とイギリス海外開発省は、タックスヘイブンを支持していた。

イングランド銀行の1969年4月11日付の極秘文書には、こう書かれている。

「イギリスは、イギリス圏のタックスヘイブンでトンネル会社が急増しても、イギリス資本が非ポンド圏に流出しないようにしなければならない」

(※これは、「これからイギリス圏では、タックスヘイブンを強化して世界中からマネーを集める。だが、タックスヘイブンを経由してイギリス資本が非イギリス圏に向かう事は、阻止しなければならない。」という意味である)

イギリスは1972年に、ポンド圏を、イギリス本土・アイルランド・王室属領だけに縮小した。

ケイマン諸島は、新通貨としてケイマン・ドルを採用し、この通貨は1974年以降は1ドル=1.2ケイマン・ドルで固定されている。

ケイマン諸島は、人口は1万人である。

総督が内閣を統括し、最高裁判所はロンドンの枢密院だ。

ケイマン・ドル札には、イギリス女王の顔が印刷されている。

ケイマンのあるベテラン政治家は、2009年にこう語っている。

「イギリスはケイマン諸島の支配者だが、支配しているとは見なされたくないと思っている。

すべてのボスがそうである様に、責任を負わずに影響力を持ちたいわけだ。
事態がまずくなったら、くるりと背を向けて『すべて君達の責任だ』と言えるからね。

総督は、やりたい放題にできる。

ケイマン人の多くは、現実を知らない。

住民の80%は、自分たちが操縦桿を握っていると信じている。」

住民たちは、莫大なカネが入っているので、波風を立てない。

1982年にイギリスとアルゼンチンの間で起きたフォークランド戦争では、ケイマン人はイギリスを支持した。

(2014.5.9.)


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