アメリカ圏のタックスヘイブン⑤
デラウェア州 全米一の規制の緩さ

(『タックスヘイブンの闇』から抜粋)

アメリカで企業への規制の緩さは、デラウェア州がナンバーワンである。

アメリカで2番目に小さい州であるこの州は、多くの企業が登記している。

フォーチュン500社のうち3分の2が、この州の法人だ。

2007年にアメリカで上場した企業の90%が、この州に登記している。

これらの企業は、デラウェアに本社があるわけではなく、そこで法人化されただけである。

1899年にデラウェア州は、巨大な化学企業を率いるデュポン一族の圧力を受けて、「一般会社法」を制定した。

この法では、企業経営者に大きな自由が与えられた。

企業は、かつては「公共の利益に役立つための手段」と考えられていた。

だがデラウェアはその考えを捨てて、企業が自分の利益を追求できるようにした。

1910年代の前半に、ニュージャージー州のウッドロー・ウィルソン知事は、蔓延する企業不正を阻止するために、『反トラスト法』を創った。

すると企業たちは、川を渡って隣のデラウェア州に逃れた。

1929年には、デラウェア州の歳入の40%は、企業からの税金や手数料で構成されるようになった。

この頃には、法人設立の件数で全米一になり、今日までその座を譲り渡していない。

1980年代にM&Aブームが起きると、経営者は自分の地位を守るために、デラウェア州に来て『ポイズン・ピル』を整えた。

(ポイズン・ピルとは、敵対的な買収に備えて、あらかじめ既存株主に大量の新株予約権を与えておく手法のことである)

デラウェア州法は、経営者に有利になっている。

『ウォルト・ディズニーの社長であるマイケル・オーヴィッツが、1.3億ドルの退職金をもらう』と知って株主たちが激怒した時、デラウェアの裁判所は「株主には報酬方針に介入する権利はない」として訴えを却下した。

2003年に同州は、衡平裁判所の管轄権を拡大する法律を制定した。

J・ロバート・ブラウン(デンバー大の教授)

「デラウェアの裁判所は、利己的な取引に対する制限を、ほとんど廃止してしまった」

デラウェアでは、有名なグローバル企業(フォード、コカコーラ、インテルなどなど)が登記している。

2008年には、88.2万もの企業の登記地となっている。

高利貸しは、歴史的に忌まわしい行為とされてきた。

出エジプト記・申命記・レビ記(旧約聖書)は、これを禁じている。

プラトンとアリストテレスも、不道徳で不当とした。

コーランでも、「高利貸しに逆戻りする者は、業火の住人になる」と書いてある。

高利貸しが許される市場では、貧しい弱者は必ず最も多く払わされてしまう。

アメリカは、貸し出し金利を厳しく規制していた。

だが1978年に、ネブラスカ州のファースト・ナショナル・バンクは、ミネソタ州居住者を自行のカード顧客に加えた。

当時、ネブラスカ州の上限金利は年率18%、ミネソタ州は12%だった。

ネブラスカ州の銀行は、ミネソタ州の人々に18%の金利を「輸出」できるのか。

これが争われた裁判で、連邦最高裁判所は「できる」と判決した。

「1つの州が金利上限を廃止すれば、銀行はそれをアメリカ全土に輸出できる」と、ウォール街はその判決に注目した。

1980年3月に、サウスダコタ州が、上限金利の規制の完全廃止を可決した。

この法律は、大筋はシティバンクが書いた。

これにより、銀行はサウスダコタ州の法人になることで、上限金利に縛られずにクレジットカード事業を行えるようになった。

デラウェア州は、1981年に『金融センター開発法』を成立させて、サウスダコタに続いた。

デラウェアの地方銀行は「大手銀行に大差をつけられるのではないか」と不安に思っていたが、ウォール街と話し合って「州外の銀行はリテール・ビジネスを行うのを禁止する」との条項を入れることで合意した。

デラウェア州は、JPモルガンを誘致するために、JPモルガンにも話を聞いた。

すると、「税金が低ければ行く」との返事だった。

そこで同州は、オフショアの最高傑作を用意した。

『逆進課税の制度』、つまり金持ちになるほど税率が低くなる制度を用意したのだ。

銀行営業税を、2000万ドル未満の所得に対しては8%、それ以上は徐々に下げていき、莫大な所得には1.7%にしたのである。

この法律の草案を作成したのは、チェース・マンハッタン銀行とJPモルガン銀行が雇ったフランク・ビオンディだった。

チェースとJPモルガンは、地元の代理人を使って、自分たちで法律を書き上げたのだ。

この法律では、クレジットカード・消費ローン・自動車ローンの上限金利が廃止され、返済できなくなった人々の住宅を差し押さえる権利が認められた。

200年にわたって続いてきたアメリカの金利上限規制は、死文化した。

州外の銀行はデラウェアに押し寄せ、クレジットカード産業は急成長した。

デラウェアの銀行営業税の収入は年間300万ドルだったが、2007年には1.7億ドルに増えた。

デラウェア議会は、「法律ができれば、雇用が創出される」と銀行界から説得されて、法案を可決した。

議員の話では、法案に関する公聴会は1度だけで、反論を抑えるやり方で進められた。

同州は小さいので、銀行が議会やビジネス界を買収するのは容易だった。

デラウェア州を陥落させると、銀行はこれをテコにして他州の門戸をこじ開けにかかった。

メリーランド州の消費者保護局のロバート・アーウィン局長は、「デラウェアからの圧力に屈したら、50州が競争し合うロシアン・ルーレットになる」と警鐘を鳴らした。

だが、クレジットカード事業は急成長し、金融危機が浮上した2007年半ばにはアメリカ人のカード債務は1兆ドル近くに達してしまった。

2007~08年の金融危機は、金利上限の廃止も原因の1つだった。

デラウェア州が成立させた『金融センター開発法』には、「金融子会社」にはあらゆる州税を免除する条項もあった。

金融子会社は、銀行のような働きをするが、銀行ではないため規制の対象外となる。

これらの会社は、シャドー・バンキング(影の銀行)システムの中核を成している。

デラウェア州は、1983年には『国際銀行業務の開発法』を成立させた。

そして、チェース・マンハッタンなどの銀行は、それまで海外で行っていたオフショア活動をデラウェアに移転させた。

1986年に成立した『海外開発法』は、逆進的な銀行営業税を、外国の銀行も利用できるようにしたものである。

89年には、『銀行および信託会社の保険業務権限法』も成立した。

これは、銀行に保険商品の販売・引き受けを許可するものだ。

88年には、『法定信託法』も成立させた。

これは、法定信託を設定する人々に自由を与えるもので、この法律によりデラウェア州はバランスシート型CDO(債務担保証券)の組成でトップとなった。

バランスシート型CDOは、銀行が資産を他の投資家に譲渡できるようにするもので、金融危機の原因の1つになっている。

フランク・ビオンディ

「これらの法律は、私と部下たちが書いたんだ。

我々は、モルガン、チェース、シティコープなどの代理人だった。」

デラウェア州の行動は、銀行業務を投機的で手数料ベースのビジネスに変貌させた。

(2015年2月2日、2016年5月16日に作成)


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