(『チョムスキー、世界を語る』から抜粋)
質問者
チョムスキーさんは、進歩の観念を信じますか?
チョムスキー
多くの点で、状況は好転しています。
一例として、私の職場であるMIT(マサチューセッツ工科大学)を取り上げましょう。
MITの新入生は、かつては白人男性で占められていました。
しかし今日では、35%はマイノリティの出身で、35%は女性です。
質問者
アファーマティブ・アクション(積極的な差別の是正措置)の成果でしょうか?
チョムスキー
アファーマティブ・アクションは、素晴らしい成果を挙げています。
それまで閉め出されていた人々に利益をもたらしただけではなく、彼らを受け入れた組織にも利益をもたらしました。
(この政策は、求人や大学のポストなどで、少数民族や女性を採用するために、特別枠を確保するものです。
この政策は、ジョンソン政権時代の1966年に始まった。
合法性を疑問視する声もあり、住民投票によって1996年にカリフォルニア州で、1998年にワシントン州で廃止された。)
この法案が可決されたのは、民衆の圧力があったからです。
人権擁護の法律は、世論の圧力があったから採用されたのです。
歴史の問題についても、進歩が見られます。
アメリカは、先住民たちを大虐殺しましたが、これが取り上げられたのは1960年代に入ってからです。
1969年に、私の娘が通っていた小学校の歴史教科書を見た事があります。
先住民たちが大虐殺された事について、記述がどうなっているか気になったからです。
最初の大虐殺があったのは1640年の頃ですが、入植者たちが先住民の部落に入って女・子供を皆殺しにした事について、「これは1つの勝利だった」と記述されていました。
今では、こういう教科書はもう見当たりません。
これは大きな進歩でしょう。
質問者
あなたは闘士と呼ばれています。政治闘争とは何でしょうか。
チョムスキー
それは主としては、嘘を見抜き、でっち上げを暴く事です。
ある決定のなされた真の理由を明るみに出すこと、問題を理性的に捉え直すこと、です。
私のヒーローは、バートランド・ラッセルです。
彼はすばらしい人物でした。
1960年代のアメリカの闘士たちは、感嘆に値する勇敢なやり方でベトナム戦争に反対しました。
こういう人たちは、全世界にいます。
人間には、本能的に平等と自由に魅かれる心があります。
同じ1人の人間が、ナチスの親衛隊の隊員にもなれば、聖人にもなりうる。
それは、本人の選択しだいです。
(2014.5.28.)
(『すばらしきアメリカ帝国』から抜粋)
チョムスキー
女性運動を見てみましょう。
もし私の祖母に「あなたは抑圧されているか」と尋ねても、何を聞かれているか理解できなかったはずです。
彼女は、夫や私が台所に入るのを禁じていました。「男の仕事ではない」と考えていたからです。
この意識は、劇的に変化しました。
大学の廊下を歩いてみて下さい。
50年前ならば、正装の白人男性しか居ませんでした。
今日では、半数が女性で、3分の1がマイノリティーで、皆がくつろいだ服装をしています。
質問者
ヒエラルキー(階層制度)が崩壊しつつあるのですか?
チョムスキー
そうです。
私が住むマサチューセッツ州の警察署に、家庭内暴力に関する通報だけを扱う部署が設置されているのを知りました。
20年前に、このようなものが存在したでしょうか?
誰かが妻を殴りつけようが、他人の知ったことではなかったのです。
こうした変化は、どのように起きたのでしょうか。
自分に問いかけてみて下さい。
大部分については、左派の若い活動家たちの運動がきっかけとなりました。
ある時点で、人々は権力と支配の仕組みに気付いて、変化を促すことに専心するようになります。
歴史上の変化は、そうしてもたらされました。
誰にだってその力はあるのです。
質問者
アメリカを巡っていると、「アメリカでは暮らしが快適なので、抗議など起きないだろう」という話をよく耳にします。
チョムスキー
それは間違っています。
真剣な活動は、抑圧されている人々からだけではなく、特権を受けている層から起きる事もあります。
1960年代の学生運動は、ほぼ全員がエリート校に在籍していました。
そしてその若者たちは、国を変えるのに大きく貢献したのです。
彼らの行動は、富裕層と権力者を激昂させました。
当時の新聞に目を通してみて下さい。ヒステリー状態の金切り声で満ちあふれています。
実際には、アメリカはそれでやっと文明化されました。
公民権運動で先導的な役割を果たしたSNCC(学生の非暴力組織の委員会)について考えてみましょう。
メンバーの多くは、スペルマン大学のようなエリート大学の出身でした。
スペルマン大学は、黒人の女子大学です。
メンバーたちは危険にさらされ、殴られたり殺される人もいました。
社会運動のほとんどは、意識向上団体から始まりました。
「ほら、他の人生だってあるよ」と説明したのです。
抑圧される者は、まず抑圧を認識しなければなりません。
これは、口で言うほど単純ではありません。
既存のシステムは、普通は当たり前のものと受けとめられていて、疑問に感じないからです。
こん棒を手にしている者にとっては、「待てよ、我々がこん棒を持っているのはどこか間違っている」と気付くことが大きな前進になります。
この自覚こそが、文明の始まりです。
(2014.7.12.)
(『ノーム・チョムスキー』リトル・モア刊行から抜粋)
チョムスキー
アメリカの建国は、イギリスから信仰深い狂信的な原理主義者が来て、原住民を殺し始めた事からスタートしました。
その後、何百万人もの原住民が殺されました。
当時のアメリカ移民は、自分たちの行為に何の疑問も抱きませんでした。
この大虐殺が問題にされたのは、1960年代に入ってからです。
60年代の反体制運動と、それに続く意識革命が、初めてこの問題を考えることにつながったのです。
300年経って、アメリカ人は祖先がやった事について考えるようになりました。
私は子供だった頃、カウボーイごっこをしました。
私たちはカウボーイになって、インディアンを殺しました。
それについて、何も考えたりしませんでした。
しかし、私の子供の世代になると、それは無くなりました。
(2015.7.16.)