アメリカにおけるプロパガンダの実例④
イラク戦争について③

(『すばらしきアメリカ帝国』から抜粋)

チョムスキー

イラク戦争では、息子ブッシュ大統領は「これでテロは減少する」と主張しました。

しかしその後に、国務省は「テロは減少していない」と報告しています。

実際には、テロはイラク戦争後に増加しています。

これは予見できた事で、多くの人が「イラクに侵略すれば、テロが増える」と予測していました。

ブッシュ政権が目指したのは、テロを減らす事ではなく、産油国に軍事基地を持って石油をコントロールする事です。

イラクに大量破壊兵器が無いこと、イラクが9.11事件と無関係なこと、が明白になると、ブッシュ政権は新しい思いつきが必要になりました。

そこで彼らは、『中東へ民主主義をもたらす』とのヴィジョンをひねり出したのです。

これを見て、ワシントン・ポストの主要コメンテーターであるデイヴィッド・イグナティウスは、すっかり畏敬の念に打たれてしまいました。

彼はイラク戦争を、「現代における最も理想主義的な戦争であり、民主的な未来を創出するために行われた」と評しました。

こういう美化(行為を正当化するために装飾して語ること)は、どの戦争でも行われてきました。

質問者

アメリカ軍の行う、イラク人捕虜への虐待が問題になっています。

チョムスキー

どの征服事業でも、「無力な被害者に対して暴力が振るわれる」という普遍的な構図があります。

質問者

イラクのファルージャで病院を占拠したアメリカ兵も、問題になっています。

チョムスキー

アメリカ軍のファルージャ制圧では、初期に一般病院を占拠しました。

「誇張された市民の死傷者数を発表しており、プロパガンダの拠点になっている」という理由からです。

患者たちはベッドから追い出されて、医者も患者も手錠をかけられて床に伏せるように強要されました。

これは、重大なジュネーブ条約への違反です。

アメリカの国内法(戦争犯罪法)でも、指導者が死刑に処される行為です。

1999年にチェチェン共和国の町をロシア軍が襲撃した時は、アメリカのメディアは重大な戦争犯罪として扱いました。

ところがアメリカがイラクの町を襲撃する場合は、解放とされるのです。

ジャーナリストは、アメリカ海兵隊の苦難ばかりを報じています。

イギリスのランセット誌は、「イラク戦争における民間人の死者は、10万人だろう」と推定しました。

これは、死者の多いファルージャからはサンプルを取っていません。

この報告書は、アメリカではほとんど無視されました。

質問者

ファルージャから逃げようとした市民や、医療物資を届けようとしたイラクの赤十字社は、アメリカ軍に阻止されました。

チョムスキー

ファルージャから逃げ出せた中には、兵役適齢期の男性はいませんでした。

彼らは追い返されました。

これは、1995年にボスニアのスレブレニツァで起きた事と同じです。

ファルージャからは、女性や子供が出ていくのは許されましたが、男性は止められました。

彼らは死んでいく運命にあったのです。

注目すべきことに、米メディアが取り上げている戦争犯罪は、戦闘中に自制心を失い負傷したイラク人を殺した海兵隊員のケースだけです。

(2014.7.9.)


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