(『チョムスキー、世界を語る』から抜粋)
質問者
あなたは、「権力者や大企業は、広告などのプロパガンダで計算ずくの戦略をとっている」と言います。
具体的な例を挙げていただけますか?
チョムスキー
例えば、1930年代末からのアメリカ産業界が行ったプロパガンダです。
1929年に世界大恐慌が始まると、アメリカでは金融などへの規制(ニューディール政策)が行われました。
そして経済ジャーナリズムは、「大衆の政治力は強くなり、実業家は危機に直面している」と主張しました。
企業の経営者たちは、労働者の集会やデモを暴力では抑えられなくなり、プロパガンダ(宣伝工作)の手段に頼りました。
この時に大々的に宣伝されたのが、有名な「モホークバレーの公式」です。
(モホークバレーはアメリカの一大工業地域で、ストに危機感を抱いた経営者は、従来のスト破りや暴力に代えて、新しいスト破りの手法を導入した。
「労働者も経営者も美しきアメリカのために働く仲間であり、ストライキを扇動する者は邪悪なよそ者である」というイメージ宣伝を展開したのである。
結果は上々で、この心理操作の手法は「モホークバレーの公式」と呼ばれるようになった。)
彼らは、組合の運動家を「よそ者のアジテーターであり、社会主義をもくろむ共産主義者である」と決めつけ、「銀行家や経営者は大衆の味方である」と宣伝したのです。
このメッセージを広めるために、あらゆる媒体が利用されました。
第二次大戦が起きると、社会民主系の党や、急進的な民主主義勢力が台頭し、大企業の支配を脅かしました。
そこで大企業は、じかに統制に及んだのです。
具体的には、勤務時間をいちだんと長くする事によって、人々を疲労させて思考力を奪いました。
そして、「軽薄さの哲学」(経営者たちが自分でこう呼んだのですよ)を、人々に植え付けようとしました。
流行商品のような暮らしの中の些末事に気を取られるようにして、同情心や連帯心を忘れるように仕向けたのです。
ウォルター・リップマンやラインホルド・ニーバーたちは、「民衆は迷子の群れであり、愚かさが明白だ。幻想を与えてやり、単純で安心できる思想をあてがってやる事が、指導者の使命だ。」と主張しました。
ニセモノの民主主義では、大衆の役割は「出来事を眺める観客」であり、けっして「参加者」であってはならないのです。
そしてこの考え方が、20世紀の民主主義社会では一大思潮となりました。
これは極めて現実的な戦略で、大成功を収めました。
もちろん、鋭い洞察力をもつ知識人は、この戦略に気付いていました。
しかし大部分の人は、この「従属させる計画」に乗せられたのです。
というのも、この計画は教育に組み込まれているからです。
学校では、「このように振る舞わなければならない。それを身に付ける事ができない者は、肉体労働者どまりだ。」と教えます。
現在の教育制度では、従順と受け身を奨励し、従わない者ははじき出されます。
この事は、ピエール・ブルデューも言っています。
(ブルデューは、「学校は、支配階級の価値観を優遇することによって、社会の階層を再生産している」と説いた)
人々をコントロールするには、恐怖とプロパガンダが重要です。
冷戦時代のアメリカの学校では、ロシアからの核兵器に備えて、机の下に身を隠す訓練をしていました。
アメリカが1985年にニカラグアを攻撃したとき、「ニカラグアがアメリカ人の生命を脅かしている」という理由で、レーガン大統領は非常事態を宣言しました。
1980年代のアメリカは、アラブ人のテロに対して強迫観念を抱いて暮らしていました。
アメリカ人は、テロ攻撃の犠牲にされるのを恐れて、訪欧を控えたくらいです。
実際には、ヨーロッパの方が、アメリカのどの町よりもはるかに安全です。
恐怖におびえさせるのは、人々を服従させる方法の1つです。
直接的な暴力を行使しえない場合には、マインド・コントロールで服従させようとするのです。
これが、アメリカとイギリスで洗脳産業(宣伝産業)がどこよりも巧妙になっている理由です。
(2014.5.22.)
(『すばらしきアメリカ帝国』から抜粋)
チョムスキー
PR産業が本格的に始動した1920年代を振り返るのは、興味深いですよ。
当時はテイラー主義の時代で、労働者はロボットになるように訓練され、動作の1つ1つまで管理されました。
テイラー主義は、人間を自動機械にしたのです。
ソ連はテイラー主義に感心し、模倣を試みました。
この時代に、マインド・コントロールの専門家は、「仕事中以外のコントロールも可能だ」と気付いたのです。
そして労働者の私生活までコントロールしようとし、『流行を追う消費行動のような、表面的な事に関心を集中させること』を目指しました。
こうして、広告産業はビッグビジネスへと育ちます。
こうしたやり方は、「態度や意見をコントロールしなければ、人々は危険すぎる」という信念に基づいています。
(2014.7.4.)