(『チョムスキー、世界を語る』から抜粋)
チョムスキー
世界情勢の分析という点では、私とCIAだって同じですよ。
根本的な価値観の相違が結論を変えるのであって、出来事の分析は同じなのです。
質問者
具体的に説明して下さい。
チョムスキー
1954年のグアテマラのクーデターを例にとりましょう。
このクーデターのために、グアテマラでは民主主義が終わり、40年に及ぶ恐怖政治が始まったのです。
CIAなどの情報機関は、クーデター前のグアテマラを次のように分析していました。
「共産主義の影響があり、1944年のグアテマラ革命を思わせる。
外国の経済的な利益を、特にユナイテッド・フルーツ社の利益を妨害している。
(ユナイテッド・フルーツ社はアメリカの農業会社で、グアテマラの農業のかなりの部分を支配していた。
現在は、ユナイテッド・ブランズ社に改名している。)
グアテマラ政府は労働者を組織し、農地改革(農地を大地主から農民に渡す政策)を実施している。
この政策は、国民に支持されている。
政府はプロパガンダを行っていて、『アメリカ帝国主義との対決』を打ち出している。
大規模な社会改造計画は、中央アメリカ諸国に大きな反響を起こしている。」
ここまでの分析は、皆が同じです。
アメリカはこの情報を得て、「グアテマラは過激なナショナリズム一色だ。アメリカの利益を妨害している。グアテマラの民衆は知的レベルが低い。」と考えました。
そして「ホンジュラスに、隣国グアテマラからの支援がある」との報告をうけた時に、アイゼンハワー政権は「アメリカの国防は危機に瀕している」と考えました。
そしてCIAに、グアテマラで軍事クーデターを起こさせたのです。
(グアテマラやホンジュラスのような小国が、アメリカの国防を脅かすはずがない。
グアテマラでの社会改革は、別に悪いものではなく、アメリカ国民を脅かしているわけでもなかった。
しかしアメリカは、そのようには分析・認識しなかった。)
(2014.5.23.)
(『すばらしきアメリカ帝国』から抜粋)
質問者
グアテマラで民主的に選出されたハコボ・アルベンス大統領は、CIAのクーデター計画で1954年に追放されました。
スティーブン・シュレジンジャーは、「CIAの歴史上、最も汚れたエピソードの1つ」と呼んでいます。
チョムスキー
CIAは、いつも通りに行動しただけです。
アルベンス政権の打倒は、アイゼンハワー大統領の命令でした。
グアテマラの民主化を、アメリカは強く反対していました。
グアテマラでは、1944年にホルヘ・ウビコ・カスタニエダの独裁政権が倒されて、民主的な政府が誕生しました。
政府は初めて、政治に農民(一般大衆)を参加させました。
グアテマラでは本物の民主主義が始まり、周りの国にも影響を及ぼす可能性が出てきました。
アメリカはこれを、とてつもない罪だと考えたのです。
アメリカが「攻撃するぞ」と脅したため、グアテマラはチェコスロバキアからの軍事援助を受け入れました。
チェコの武器が流入している事を発見したアメリカは、勝ち誇ったようにこの事実を脅威として宣伝しました。
「グアテマラがチェコのライフルを手に入れてしまった以上、アメリカはどうやって存続できるのか?」
これが、侵略の前提として利用されました。
(そしてCIAはグアテマラでクーデターを起こさせて、アルベンス政権を倒した)
国家統制的なレーガン政権は、1954年のグアテマラのクーデターと、1953年のイランのクーデターのついての文書を、機密解除となる30年が経ったのに公開しませんでした。
(※どちらのクーデターも、CIAが暗躍して起こしたものです)
質問者
ニューヨーク・タイムズ紙は、グアテマラのクーデターに一役買いましたね。
チョムスキー
その通りです。
ニューヨーク・タイムズは、CIAのクーデターを応援・賞賛しました。
(2014.7.9.)