(BSドキュメンタリー「報道の自由と巨大メディア企業」から)
1980年代のアメリカでは、クラック(コカインの一種)の爆発的な流通が問題になった。
ロバート・パリー(元AP通信の記者)
「クラックは、中毒者の生活を破壊し、ギャングの抗争まで引き起こしました。
アフリカ系のアメリカ人は、特にダメージを受けていました。
この問題について、ゲイリー・ウェッブは調査を始めたんです。」
ゲイリー・ウェッブがまず注目したのは、麻薬取引をしているニカラグア人だった。
彼らの活動は、取り締まりをうけずに、勢いを増していたからである。
クラックの供給源を調べたウェッブは、10年前にアメリカが支援したニカラグア戦争にたどり着いた。
ピーター・コーンブルー
「ニカラグアの内戦では、左翼政権と反政府ゲリラのコントラが対立しました。
レーガン大統領は、CIAに莫大な資金を与えて、コントラを援助しました。
当時の政府は、アメリカで麻薬が蔓延している事よりも、中米の共産主義の勢力を倒す事を、はるかに重要だと判断したのです。」
1年に及ぶ取材を経て書かれたウェッブの記事は、『CIAとコカイン取引(クラック取引)が関係していること』を明らかにした。
(※CIAは、コントラ支援という名目で、コカインをコントラから買い取り、アメリカに運んで売っていた。
つまり、CIAが麻薬密売の黒幕だった。
これは、『イラン・コントラ・ゲート』と呼ばれる大事件の、一側面に過ぎない。
レーガン政権やCIAは、同時にイランに兵器の密売もしていた。)
スーザン・パテルノ
「ウェッブの記事は、地方紙であるにも関わらず、全米の注目を集めました。
さらに国際的にも注目されました。」
ゲイリー・ウェッブの入手した資料は、すべてネット上で公開された。
1997年11月には、毎日100万人以上が、彼のサイトを見るようになっていた。
CIAに対して説明を求める市民の声が高まる中、大手の新聞社はウェッブを攻撃し始めた。
ロバート・パリー
「ウェッブのした事は、地方紙が大手紙に楯突いたと見なされたのです。」
ワシントン・ポストは、こう書いた。
「CIAとクラックの関係を裏付ける証拠はない。
ウェッブは馬鹿だ。
(クラックに汚染されている黒人達が騒いでいるが)一部の黒人指導者たちは、陰謀説を信じやすい。」
ニューヨーク・タイムズも、「CIAは証拠はないと言っている」と書いた。
ノーマン・ソロモン
「大手メディアは、疑惑についてCIAに尋ねて、CIAが事実無根と否定したらそれを真に受けて、言われたままに報道したのです。」
チャールズ・ボウデン(作家)
「ロサンゼルス・タイムズの大物と飲んだ時に、この件について訊ねたんです。
彼は、『本社で話し合いがあってね。地方紙の記者にピュリッツァー賞を獲らせるわけにはいかない、という結論になったんだ。』と言いました。」
大手メディアがゲイリー・ウェッブを攻撃すると、市民は立ち上がりデモ行進をした。
しかし、ウェッブは左遷させられた。
当時のウェッブのコメント
「大手メディアに批判されて、会社は私を見放したんです。」
カート・ウェッブ(ゲイリーの弟)
「兄は、報じてはならないと皆が警告していた事を、記事にした。
その途端、クズ扱いされるようになったんです。」
しかし、1年後に事態は急変した。
CIAが、コントラの麻薬密輸に関与していた事を、認めたのである。
ロバート・パリー
「アメリカ政府が麻薬密輸を黙認していた事実が、明らかになりました。」
この一件は、ウェッブの正しさを大手メディアが認めるチャンスだった。
しかし、彼らは態度を変えなかった。
パリー
「ニューヨーク・タイムズは、過失を認めつつも、依然としてウェッブを間抜け扱いしました。
ワシントン・ポストは、疑惑の否定を変えませんでした。
ロサンゼルス・タイムズに至っては、いっさい報じていません。
報道の正しさが証明されたのに、ウェッブは誤った記事を書いた変人としてメディア業界で扱われ続けました。」
カート・ウェッブ
「新しい就職先を求めて面接に行っても、『あの記事を書いた記者だろう?』と言われて、断られてしまうんです。
兄はもはや、ジャーナリストでは食べていけなくなりました。」
パリー
「すっかり落胆したウェッブは、ピストルで自殺してしまいました。」
生前のウェッブの言葉
「批判される覚悟は出来ています。
この記事を書いて良かったし、自分を誇りに思います。」
(2014.12.1.)