(『エコノミック・ヒットマン』ジョン・パーキンス著から抜粋)
メイン社の私達のチームは、1971年の夏に、インドネシアの首都ジャカルタに入った。
ジャカルタは、豊かな地域と貧しい地域がくっきり分かれていた。
もちろん、私たちのチームの宿泊先は、最高級ホテルの「インターコンチネンタル・インドネシア」だった。
到着した日の夜、プロジェクトの責任者であるチャーリー・イリングワースは、こう言った。
「我々がここに来たのは、ジャワ島に電力を供給する基本計画を作るためだ。
我々は、共産主義の魔の手から救うために、電力システムを実現させる。
インドネシアは、強力なアメリカの同盟国になりうる。
この国には大量の石油があるから、石油産業に必要な港・パイプラインなどが求める電力を賄えるように、細心の注意を払ってほしい。」
私は、「インドネシアの時代遅れな経済を救い出して、現代的なものにするために、ここに居るのだ」と自分に言い聞かせた。
だが、ホテルの向こうには、あばら家が延々と続いている。
そこでは、人々は劣悪な環境に苦しんでいるのだ。
私は「このチームの全員が、利己的な目的でここに来たのは否定しようがない」と認識した。
私は、大学教授たちがマクロ経済学の本質を理解していない事を知った。
多くの場合、経済成長を外国や国際金融機関が助けることは、ピラミッドの頂点にいる人々をより豊かにするだけなのだ。
中世の封建社会に似たシステムを生み出すことが多い。
ホテル滞在客にはアメリカ人が驚くほど多く、石油会社や建設会社の重役たちだった。
私達のチームは、バンドンに移動し、「ウィスマ」と呼ばれる政府のゲストハウスが提供された。
住居に加えて、トヨタのオフロード車が運転手と通訳つきで、1人ずつにあてがわれた。
チームメンバーには、すでに70歳代のハワード・パーカーがおり、私と同じく経済予測を担当していた。
今にして思えば、ハワードは私にとって最良の教師だった。
彼は状況をはっきりと把握し、「ある種の帝国主義を促進するために、自分は利用されている」と理解していた。
ある日、ハワードから話があると言われた。
ハワードはこう言った。
「あいつらは、この国の経済がロケットみたいに急上昇すると、君に確信させようとするよ。
チャーリー・イリングワースは血も涙もない奴だから、言いなりになっちゃいけない。」
私は答えた。
「この国の経済は、爆発的に上昇しますよ。
石油が出れば、あっと言う間にすべてが変わるんです。」
ハワードは言った。
「私は、長い年月をかけて経験してきた。
いいか、よく聞け。
私はこれまでずっと、ボストンで電力需要の予測をしてきた。
大恐慌の時も、第二次大戦中も、空前の好景気の時もだ。
それを踏まえて言うが、電力需要が継続して7~9%以上の増加をした前例は一度もない。」
頭の片隅では彼が正しいと思いつつも、反論した。
「ハワード、ここはボストンじゃない。
この国は、ようやく皆が電気を使えるようになるんだ。」
彼は、私に背を向けて言った。
「そうか、もう何も言うまい。
私は自分の信念に従って、電力需要の予測を立てるよ。
君らは悪魔に魂を売った。
カネのために、あいつらの仲間になったんだ。」
この体験は、私の心を大きく揺さぶった。
私は1人になると、必死に涙をこらえた。
なぜこれほど惨めに感じられるのか、考えないではいられなかった。
その晩、ベッドに横になって、これまでの人生を振り返り、将来についても考えた。
チャーリー・イリングワースは、年間17%以上の経済成長率を算出するように求めている。
私は、どんな経済予測を立てればいいのだろう?
ふと、ある考えが浮かんで、私の心を落ち着かせた。
「決定権は私にあるのではない。私が楽観的な予測をしても、チャーリーは経験豊富なハワードの予測を採るだろう。」と。
それからの私は、地方を回り、政治家や企業の重役と会って、経済成長についての意見に耳を傾けた。
だが、彼らは積極的に情報を語らず、私の訪問を恐れているかの様だった。
バンドンに滞在している間に、ラシーという若者と友達になった。
ある夜、ラシーは「あなたが知らないインドネシアを見せてあげるよ」と言って、私を連れ出した。
私たちは小さな喫茶店に行き、ラシーと友人達は私を仲間として扱ってくれた。
彼らは口々に、「ベトナム戦争は、アメリカによる非合法な侵略であり、恐怖を感じる」と訴えた。
私はやがて、バンドンの役人や企業の重役と会った時に、彼らの多くが私の訪問を腹立たしく思っているのが感じ取れるようになった。
例えば、誰かに私を紹介する時、彼らは「調査官」「尋問者」と説明していた。
協力するように誰かに命令されて、仕方なくそうしているのだ。
表向きは歓迎してくれながら、裏には忍従と敵意があった。
私に提供されるデータの信用性は、疑わしく感じられた。
会談の約束なしには相手に会えず、用意された資料はジャワ島がかつてない大躍進を遂げることを示していた。
誰一人として、否定的な情報をくれる者はいなかった。
私は違和感を感じ、ひどく不安だった。
現実ではなくゲームのように感じられ、まるでポーカーをしている様だった。
先進国はみな、発展途上国を搾取することで生きている。
外国からの援助という借金は、人々の将来をがんじがらめにしている。
返済のために天然資源が略奪され、社会福祉はおざなりにされる。
これは、植民地時代の貿易システムの再現だ。
私はアメリカに戻り、メイン社の本部へ出社した。
私が調査報告をする相手は、ブルーノ・ザンボッティだ。
ブルーノは、驚くような事を言った。
「ハワード・パーカーはクビだ。あの男は現実を見失っている。
年率8%の成長。それがあの男の予測だ。
信じられるか? インドネシアほどの可能性に満ちた国で!」
ブルーノは、私の目を見ながら言った。
「チャーリーの話によれば、君の電力予測は実に正確で、年率17~20%の成長が見込めるとしているそうだな。それは正しいかね?」
私は「そうです」と答えた。
彼は立ち上がって、私に手を差し伸べた。「おめでとう、これで君は昇進だ。」
私は、チーフエコノミストに昇進した。
クローディンにも報告したかったが、電話してみるとその番号は使われていなかった。
彼女のアパートを訪ねたが、すでに引っ越していた。
メイン社の人事部で尋ねても、「特別コンサルタント」のファイルは見せられないという。
自宅に戻ると、昇進が魂を売り渡した象徴のように感じられた。
私はベッドに身を投げ出し、絶望に打ちひしがれた。
その後、私は経済予測の報告書を持って、数多くの会合に出席した。
イラン国王や、数ヵ国の大統領、マクナマラ世銀総裁にも会った。
新しい肩書きの影響には、驚くばかりだった。
だが、世界を形づくる決定をしている人々について知れば知るほど、彼らの能力や目的に疑問を持つようになった。
会議室のテーブルを囲む人々の顔を眺めながら、怒りを抑えようと必死になっている自分に、私は気付いた。
とはいえ、私は彼らと同様に、「共産主義とテロリズムは邪悪な力だ」と信じ、「世界を資本主義に転向させなければならない」と信じていた。
つまり、適者生存の原理に固執していた。
彼らと接していて、世界支配をめざす連携した集団と見るべきか、私は迷った。
結局のところ、資本主義のピラミッドの頂点にいる少数の人間は、「自分たちの地位は、神から与えられた特権だ」と信じ、このシステムを世界中に拡大しようとしている。
(2015年6月28日に作成)