エリア51の歴史①
ボブ・ラザーが存在を証言する

(『エリア51』アニー・ジェイコブセン著から抜粋)

エリア51は、軍事科学技術を研究する目的でつくられた連邦政府の秘密施設だ。

ここを取材するには、国家機密の取材許可証明と、アメリカ軍の上層部もしくは情報局の上級局員からの紹介状が要る。

加えて、エリア51を訪れる者は全員、到着前に「秘密を厳守する」という誓約をしなければならない。

エリア51を外から見学する場合、日中は適さない。

砂漠から放散される熱による大気のゆがみが強すぎて、砂と格納庫を見分けることさえ出来ないからです。

だから、夜に観察する者が多い。

エリア51が初めて外部に門戸を開いたのは、1955年だったという。

CIA幹部のリチャード・ビッセルとハーバート・ミラーが、CIAが初めて開発する偵察機「Uー2」のテスト飛行場として、エリア51を選んだのだ。

だが非公開の事実ながら、最初の顧客は原子力委員会で、1951年から物議をかもしそうな過激な研究プロジェクトが開始されている。

原子力委員会のプロジェクトには、なぜか飛行機やパイロットを対象にしたものがあり、きな臭い。

1955年にCIAがやって来た時には、空軍も行動を共にしていた。
NACA(NASAの前身)と海軍も、行うプロジェクトについては知らされていた。

そして1980年代の終わりにその存在が一般に知られるまで、NRO(国家偵察局)やNSA(国家安全保障局)やDIA(国防情報局)と手を取り合って、プログラムは進められた。

多くの組織と人が関わっていたが、エリア51の存在は一部の集団以外には知らされていなかった。

エリア51が公けになったのは、1989年11月にボブ・ラザーがニュース番組に出て証言したからだ。

彼ほどおおっぴらに沈黙の誓いを破ったのは、それまで居なかった。

ラザーの登場で、40年近いエリア51の秘密の歴史は終わりを告げた。

ボブ・ラザーは、ハンガリー生まれの核物理学者エドワード・テラー博士の紹介で、エリア51に入った。

テラーは水爆を開発した人で、エリア51の隣りにあるネヴァダ核実験場で働いていた。

エリア12、エリア19、エリア20には、核実験でできた巨大クレーターや、プルトニウムで汚染された地下トンネルが残っている。

ラザーがエドワード・テラーに会ったのは、1982年6月だった。

場所はニューメキシコ州ロスアラモスの国立研究所で、23歳のラザーはテラーの講演を聞きに来て、テラーに話しかけたのだ。

ラザーはすでに、カークメイヤー社の契約社員で、その国立研究所で働いていた。

6年後に同研究所を解雇されると、彼はテラーの紹介で、エリア51における最大の業者『EG&G』に勤め始めた。

ネヴァダ核実験場とエリア51のプロジェクトに関わる業者は、どの業者も『国家機密の取扱許可の証明』と『Q証明CQクリアランス』を持っている。

Qクリアランスとは、核研究に関する機密情報を扱うことを許可された人物証明のことだ。

EG&G社は、業者の中でも強大な情報アクセス権を持っている。

1988年12月にラザーは、ラスベガスのマッカラン国際空港内にあるEG&Gのビルに行った。

そこから銃を手にした警備員が守る格納庫に行き、機体に沿って1本の赤い線が描かれているだけでなんのロゴもないボーイング733に乗った。

そして北に向かい、エリア51へと飛んだ。

エリア51の真上は、1950年代の半ばから飛行制限空域になっている。

その飛行制限空域は、「ボックス」と呼ばれており、近くにあるネリス空軍基地のパイロットたちは「その中には絶対に入るな」と命じられている。

エリア51は、何十年にもわたって秘密偵察機の滑走路となってきた。

巨大なアンテナもあり、そこから発射されるビームは物を一瞬ですべて燃やすほど強力だ。

レイセオン社によって設計された、ミサイルを検出する「クイック・キル・システム」もある。

エリア51に近づくと、標高2849mのグルーム山が巨大な姿を現わす。

西側の丘の近くには、かつてJP-7ジェット燃料(-32℃からー141℃までの温度変化に耐えられる、偵察機用の特別燃料)が保管されていた、古いタンクが並んでいる。

丘の南側の台地には、武器の組み立てと保管をする施設がある。

空軍の対外技術局(1968年設立)の管轄下にあるレーダー群は、東側の国から手に入れた(または中東戦争のあいだに手に入れた)ソ連のレーダー・システムも含まれている。

ラザーを乗せた飛行機は、エリア51に着陸した。

ラザーによると、彼は「S-4」と呼ばれる施設に連れていかれた。

そして、自宅の電話の傍聴を許可する書類と、憲法で保障された権利を放棄することを承諾する書類に署名させられた。

その後に、なんと空飛ぶ円盤を見せられた。

その円盤の「反重力推進システム」をリバース・エンジニアリングするのが、彼の仕事だった。

円盤は9機あり、地球外の惑星から来たと説明され、エイリアンの絵も見せられた。

ラザーはその冬S-4で働いた。

働くのは大抵は夜で、合計10日ほどだったという。週に1晩しか働かない日もあった。

1989年3月初めに、銃を持った2人の警備員に付き添われて、S-4の廊下を歩いていた。

ふと横に眼をやると、23cm四方の小さな窓を通して、無標示の部屋の内部が見えた。

大きな頭をした小柄な灰色のエイリアンが、白衣を着た2人の男に挟まれて立っていた。

もう一度よく見ようとしたが、警備員の1人に「前方の床を見て歩け」と言われてしまった。

ラザーは、この事を友人に話し、一緒にエリア51を双眼鏡で遠くから調べた。

すると輝く円盤が現われ、上空で静止した後に着陸した。

その後、警備員に捕まり、ラザーはEG&Gを解雇された。

ラザーは、エリア51の事を公表すると決意し、1989年11月にテレビ出演した。

彼の話を聞いたUFO研究家の早川のり男は、雑誌ムーに連絡し、90年2月にインタビューする事になった。

早川

「ラザーは奇妙な男だったね。
家にボディガードが何人かいて、どこに行くにも付いていくのさ。

インタビューの後は、エリア51の近くまで行って、空飛ぶ円盤を撮影することになった。

日没の直後に、明るいオレンジ色の光の玉が、グルーム湖付近から上がってきた。
その一部始終を撮影したよ。

光は上昇した後、すばやく方向転換し、それが3度繰り返された。」

ムーの編集長は大興奮し、日本テレビは2時間番組で放送された。

ラザーが有名人になると、彼の学歴詐称や、逮捕歴も明るみに出た。

だが彼は、S-4で目撃した事に関して主張は決して変えなかった。

(2019年1月29日に作成)


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