北朝鮮の核開発には、パキスタンの協力があった

(毎日新聞2012年2月11日の記事から)

米朝の枠組み合意(1994年)により、北朝鮮の核兵器開発は凍結された。

米国と北朝鮮は、94年10月に「軽水炉2基の供与と引き換えに、核開発を凍結する」という枠組み合意を結んだ。

それにより、97年8月に軽水炉の建設が始まった。

しかし、98年に北朝鮮はウラン濃縮による核開発に着手していた事が、毎日新聞の取材で分かった。
米国は、2000年にウラン濃縮を始めたと判断したが、実際はその2年前に始まっていたのである。

北朝鮮は、枠組み合意に反するかたちで、六フッ化ウラン(UF6)の製造を、パキスタンの協力で進めていた。

核の専門家たちによると、北朝鮮はパキスタンのカーン博士と接触をして、90年代の半ばにウラン濃縮用の遠心分離機を入手した。

98年4月には、試作したUF6をカーン博士に送って、成分分析を依頼した。
UF6の質が悪かったため、パキスタン側は自国製のUF6と劣化ウランガスなどを供与した。

カーン博士が率いる「核の闇市場」は、1997年にリビアに20トンのUF6を売却した。

2003年に、リビアは核兵器開発を放棄して、IAEAの査察団を受け入れた。
その際に、パキスタン製のUF6が見つかったが、出所不明のUF6もあった。

調査の結果、出所不明のUF6は北朝鮮製らしいと判明した。
これにより、北朝鮮がUF6を生産している可能性が高まった。


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