日本人の拉致が明らかになったのは1988年
50~100人ほどが拉致されたらしい

(『北朝鮮の真実』重村智計著から抜粋)

北朝鮮による拉致が明らかになったのは、1988年だった。

石岡亨さんは、1980年にスペイン旅行中に行方不明になった。

石岡さんからの手紙が、日本の自宅に届き、同じく拉致された有本恵子さんと平壌で結婚した事が書かれていた。
この手紙は、平壌で密かにポーランド人に託されたものである。

有本さんの家族らは、政治家や外務省に救出を相談したが、相手にされなかった。

安倍晋三は、数少ない相手をしてくれた人の1人で、親切に応対した。
彼は当時、父・晋太郎の秘書をしていた。

1997年に家族達は、『拉致被害者の家族の連絡会』を結成した。

だがメディアは報じず、朝鮮総連は「拉致はない」と主張した。

現在では、日本政府は「17人が拉致された」と認定している。

このうち5人は帰国し、12人は北朝鮮に残されていると考えられる。

これに対し北朝鮮は、13人の拉致を認めて、「5人は帰国させて、8人は死亡した」と主張している。

北朝鮮が他にも拉致をしたのは、まず間違いない。
北朝鮮の元工作員などの情報によると、50~100人ほどが拉致されたらしい。

日本は、国際刑事裁判所に訴えた方がいい。


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