(『北朝鮮の真実』重村智計著から抜粋)
小泉純一郎・首相は、2002年1月の初めには、79%の高い支持率を得ていた。
ところが、1月29日に田中眞紀子・外相を更迭したことで、49%に急落して、その後は30%台になった。
純一郎は、「このままでは退陣になる」と心配して、日朝首脳会談を決断したのである。
小泉純一郎には、金正日・総書記と連絡するルートがなく、日本財団の笹川陽平が仲介をした。
陽平は正日に書簡を送り、数週間後に「会談をしてもいい」との返書が来た。
一方で純一郎は、アメリカのブッシュ大統領から、「核問題が解決していないのに、国交の正常化はしないでほしい」とクギを刺されていた。
正日は、2度目の返書では「心配はいりません。面子をつぶす事はしません。拉致被害者は亡くなっている方もいます。」と伝えた。
当時の北朝鮮では、拉致を認める事に、軍と工作機関はかなり抵抗したという。
拉致被害者の帰国については、日本側は「国交を正常化してから、少しづつ行えばいい」と述べたという。
2002年9月17日に、日朝首脳会談は行われた。
この会談後、小泉純一郎・首相の支持率は60%にまで戻った。