日朝首脳会談(2002年9月17日)の真実①
小泉首相は、支持率を上げるために会談を持ちかけた

(『北朝鮮の真実』重村智計著から抜粋)

小泉純一郎・首相は、2002年1月の初めには、79%の高い支持率を得ていた。

ところが、1月29日に田中眞紀子・外相を更迭したことで、49%に急落して、その後は30%台になった。

純一郎は、「このままでは退陣になる」と心配して、日朝首脳会談を決断したのである。

小泉純一郎には、金正日・総書記と連絡するルートがなく、日本財団の笹川陽平が仲介をした。

陽平は正日に書簡を送り、数週間後に「会談をしてもいい」との返書が来た。

一方で純一郎は、アメリカのブッシュ大統領から、「核問題が解決していないのに、国交の正常化はしないでほしい」とクギを刺されていた。

正日は、2度目の返書では「心配はいりません。面子をつぶす事はしません。拉致被害者は亡くなっている方もいます。」と伝えた。

当時の北朝鮮では、拉致を認める事に、軍と工作機関はかなり抵抗したという。

拉致被害者の帰国については、日本側は「国交を正常化してから、少しづつ行えばいい」と述べたという。

2002年9月17日に、日朝首脳会談は行われた。

この会談後、小泉純一郎・首相の支持率は60%にまで戻った。


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