(毎日新聞2012年2月11日の記事から)
1970年代に、パキスタンはカシミール地方をめぐって、インドと紛争を起こした。
米国はパキスタンへの武器輸出の禁止を決定し、そのためパキスタンはソ連と接触した。
しかしソ連はインドと蜜月関係にあるため、交渉は上手くいかなかった。
そこでパキスタンは、北朝鮮と接触をし、76年に国交を結んだ。
1971年の東パキスタン(現バングラデシュ)の独立、74年のインドの初の核実験と、パキスタンにとって国難が続き、パキスタンは核兵器の取得に躍起になっていた。
パキスタンはカーン博士の力で、80年代半ばには核兵器開発を達成した。
(初の核実験は98年に行われた)
しかし、インドは1988年に新型ミサイルを開発した。
これに危機感を持ったパキスタンは、カーン博士を92年頃に北朝鮮に派遣し、北朝鮮のミサイル「ノドン」の買い付けに成功した。
北朝鮮は、博士が「大変に役立った」と評価する『核兵器の起爆技術』を、パキスタンに供与した。
両国は蜜月関係となった。
1999年10月にムシャラフがパキスタン大統領になると、ムシャラフは北朝鮮の技術者を国外退去させた。
米国の圧力により、2001年3月にカーン博士は研究所(KRL)を辞めた。
以後は、北朝鮮からのミサイル協力は途絶えたという。
○村本のコメント
パキスタンとインドの軍拡競争が、パキスタンと北朝鮮の核開発の背景にあるのですね。
冷静に見ると、「このような軍拡競争はアホな行為だ」という真実が理解できます。
日本は両国と距離があるので、冷静に眺められます。
しかし日本は、中国や北朝鮮とは張り合って、軍拡を進めてきました。
それは、『自分に身近すぎるために冷静になれない』からです。
軍縮を進めて平和を築けるかは、『どこまで冷静になれるか』が鍵ですね。