(『北朝鮮の真実』重村智計著から抜粋)
アメリカは、朝鮮戦争以来、北朝鮮を敵国と見なして、無視してきた。
しかし、ソ連が解体して冷戦が終わると、1992年末に初の米朝高官の接触が行われた。
アメリカは、北朝鮮との交渉はしない方針で、この接触は「アメリカの方針を伝えるため」のものだった。
その後、クリントンが大統領になると、1993年6月に核問題をめぐる米朝高官の交渉がスタートした。
そして翌年に、『米朝の枠組み合意』が生まれた。
クリントン政権は、「北朝鮮はまもなく崩壊する」との誤った判断を下し、枠組み合意によって軽水炉と重油の供給をした。
クリントンの次のブッシュ・ジュニア政権は、北朝鮮とは交渉しない方針を採った。
しかし、「交渉しないと成果がない」との世論の批判を受けて、交渉を始めた。
そして、北朝鮮への『テロ支援国家指定の解除』を行った。
北朝鮮は、核施設への査察の受け入れを約束したが、実行せず反古にした。
北朝鮮は、核問題については、軍部が権限を握っている。
金正日ではなかったのである。
これをアメリカは理解できず、金正日と交渉をすれば上手くいくと勘違いをした。
北朝鮮は、『米朝の枠組み合意』の時点では、核開発を放棄して国交正常化を目指す方針だった。
しかしその後、正日は軍への力を失い、北朝鮮は核の放棄をしない方針に変えた。
(2013.10.13.)