(『北朝鮮の真実』重村智計著から抜粋)
北朝鮮の外交は、ソ連と中国に振り回されて翻弄されてきた。
北朝鮮は、ソ連と中国からの自立を目指して、波乱万丈の歴史を歩んできた。
外交の歴史をまとめると、次のようになる。
① ソ連に一辺倒の時代 (1945~50年)
この時代は、軍事と経済で、ソ連から多大な援助を受けた。
ソ連軍は、45年8月9日に北朝鮮に進駐してきて、北朝鮮を支配した。
そしてソ連の後押しによって、金日成は指導者の地位に就いた。
② 中国およびソ連との蜜月時代 (1950~56年)
中ソの両国から、援助を受けた時代である。
朝鮮戦争が起き、ソ連からは兵器の援助を受け、中国からは中国軍の参戦を受けた。
戦後は、中ソだけではなく、東欧諸国からも支援を受けた。
③ 中ソの論争時代 (1956~61年)
1956年に、ソ連の指導者だったスターリンへの批判が、ソ連で起きた。
すると中国(毛沢東)は、これに不満を表明して、中ソは対立した。
中国は、米ソの核兵器の独占にも反発して、中ソはさらに対立した。
北朝鮮は、中ソのどちらも支持せず、中ソの両国が北朝鮮への支援を打ち切った。
57年2月からは、北朝鮮と日本との貿易が始まった。
④ 中国に傾斜した時代 (1962~64年)
北朝鮮は、キューバ危機でアメリカとの対決を回避したソ連に、強い不信感を抱いた。
そして、米ソの雪解け(緊張緩和)に強く反発した。
その結果、中国に傾斜した。
64年10月には、「ソ連は修正主義者だ」と非難した。
⑤ 対ソ関係を改善した時代 (1965~68年)
中国で文化大革命がおき、中国で金日成の批判が起きると、中朝関係が悪化した。
そして北朝鮮は、ソ連に急接近して、援助をもらった。
⑥ 自主路線 (1968~89年)
この時代には、アメリカとソ連の緊張緩和が進み、アメリカと中国は国交正常化をした。
北朝鮮は、ソ連と中国に見放されてしまい、非同盟運動に傾斜した。
68年8月に、「自主路線」を宣言して、中国を教条主義だと批判した。
⑦ 日本およびアメリカとの関係改善を模索した時代 (1989~2000年)
ソ連と東欧諸国(社会主義国)の崩壊が起きたために、北朝鮮は日本およびアメリカとの関係の正常化を目指した。
しかし、拉致問題と核開発問題のために頓挫した。
1990年9月には、日本から金丸訪朝団が来て、金日成と会見した。
92年1月には、ニューヨークで初の米朝高官の会談が実現した。
94年には、『米朝の枠組み合意』が成立した。
⑧ 体制の崩壊を阻止するための核開発外交の時代 (2006年~現在)
体制の崩壊を阻止するために、核開発を再開して、核は放棄しない戦略を採った。
○村本のコメント
『北朝鮮の真実』という本からの抜粋ですが、この外交史の概説は、すごく分かり易いと思います。
北朝鮮の外交政策が一貫したものではなく、大国に依存するために翻弄されてきた歴史が理解できます。
見ていると、可哀相になりますね。
早く核開発の放棄をしてもらいたいです。
(2013.10.14.)