アメリカとの関係史③ 米朝の枠組み合意の破綻

(北朝鮮の真実、そうだったのか!現代史2、から抜粋)

2000年秋に、「北朝鮮はプルトニウムではなく『ウラン濃縮』の方法で、核開発をしている」との情報をアメリカは得ます。

米朝枠組み合意の崩壊は、2001年1月にアメリカのブッシュ政権が発足した時から生じました。

ブッシュは1月29日の一般教書演説で、「北朝鮮、イラン、イラク」を「悪の枢軸」と非難し、国際テロに関与して核開発をしていると指摘しました。

そして、「北朝鮮への軍事攻撃も排除しない」と発言しました。

日朝が02年9月に首脳会談をして『平壌宣言』を発表すると、
アメリカ国務省のケリー次官は、日朝首脳会談の翌月(10月)に平壌を訪れて、高濃縮ウランの計画について問いただしました。

そしてケリーらは、北朝鮮は核兵器開発を認めたと判断します。

その結果、アメリカは『米朝の枠組み合意』の破棄を決めました。

アメリカは日韓に説明した上で、12月に重油供給(枠組み合意で約束されていた供給)を止めました。

すると北朝鮮は、「それだったら、凍結してきた核施設を再稼動させる」と言い、
常駐していたIAEAの調査官を国外に退去させて、03年1月にはNPTから脱退しました。

これを受けてKEDOは、原発建設を中止しました。

こうして、合意は完全に破棄されました。

北朝鮮は、枠組み合意をした当初は核開発を放棄する意思があったようですが、
その後に方針を変えました。

枠組み合意にあった核査察に応じず、連絡事務所も設置しませんでした。

日本は、日朝首脳会談の際に、「2003年1月1日に国交を正常化する」と密約していました。

しかし、米朝枠組み合意の破綻で、不可能になりました。

結果的には、国交の正常化は実現せず、日本からの経済支援金も供与されませんでした。

そして、日米同盟は守られたのです。

(2013.12.9.)


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