(『そうだったのか!現代史2』池上彰著から抜粋)
たび重なる核実験は、世界の人々に放射能の恐ろしさを知らしめた。
そして、「核兵器の廃絶」を求める国際世論が盛り上がった。
この世論に押される形で、1963年8月に、アメリカ・ソ連・イギリスの3国は、『部分的な核実験の禁止条約(PTBT)』に調印した。
この条約は、「大気中での核実験」を禁じるものである。
しかし、「地下での核実験」は禁止していない。
3国は、すでに地下核実験の技術を確立しており、この条約は何の支障もなかった。
むしろ、大気中での核実験を禁じることで、他の国が核開発をできなくする狙いがあった。
この条約には、すでに核兵器を持ち地下核実験の技術はまだ持っていなかったフランスと、密かに核実験の準備を進めていた中国は、参加しなかった。
(2014年3月6日に作成)