(『そうだったのか!現代史2』池上彰著から抜粋)
1979年に、アメリカのカーター大統領とソ連のブレジネフ書記長は、『SALT2』に調印した。
『SALT2』は、核ミサイルの発射装置を2250基に制限した。
この頃には米ソは、1つのミサイルに複数の弾頭を搭載する「多弾頭のミサイル(MIRV)」を開発していた。
ミサイルが発射されると、複数の弾頭に分かれて、別々の目標地に落下していくのだ。
このため、発射装置の数を制限しても、痛くもかゆくもなかった。
この条約は、ソ連がアフガニスタンに侵攻したため、アメリカ議会は批准しなかった。
(2014.5.1.)