(以下はNHKのテレビ番組『国連の歴史』を2004年1月17日に見てメモしたこと
2026年3月10日に作成)
1960年にアフリカ大陸で独立国が多数出た。
国連はそれらの国の独立を承認。
このうちコンゴでは、白人の支配者と現地に住む人々が戦争を始め、国連では大激論を経てコンゴ政府を支援するため国連軍を出す事になった。
ベトナム戦争では、米ソが直接にこの戦争に介入していたため、国連軍は結成されなかった。
1975年11月に、アラブ諸国の賛成により、イスラエルを批難する決議を国連総会で採択した。
米国は、国連の予算の25%を支払っているのに国連で米国の主張が通らないのに怒り、予算の支払いを滞納した。
さらに米国はユネスコ(国連の組織)からは脱退した。
米国は国連がソ連寄りだとして、それを改めない限りユネスコに再加入しないと主張。
1986年に、ソ連のゴルバチョフと米国のレーガン大統領は会見。
冷戦は終結に向かった。
南アフリカがナミビアの独立をはばむ紛争に対し、国連は介入。
ナミビアの独立を助けて大きな成果を上げた。
1990年に、イラクがクウェートに進攻した。
国連は侵略とみなして、多国籍軍を送る事にした。
1991年1月に国連は国連軍を派遣して、イラクに圧勝した。
日本は、国連の分担金の支払い額が増え続けて、1960年は全体の5%の分担金だったが、2003年には20%となり世界一の分担金支払いをしている。
国連は、エジプト人のガリが1992年に新しい事務総長に就くと、内戦に武力で積極介入する新しい主義を打ち出した。
いくつかの国でこの介入は成功した。
しかし紛争の当事者たちに平和を求める考えがない場合は難航した。
ボスニアでは介入後も進展がなく、米国は大規模な軍を送るように勧告した。
3年後に米国の主張通りに大規模な空爆をした。
1995年11月にボスニアとヘルツェゴビナの和平が結ばれた。
ソマリアの内戦では、米兵は戦死があいつぎ、米国は国連PKOから距離を取り始めて撤兵した。