(『イスラム世界のこれが常識』から抜粋)
ムハンマドは、最初の妻のハディージャとの間に、三男四女をもうけた。
男子はすべて夭折し、ムハンマドの死去の際に残っていた娘は、末娘のファーティマだけだった。
ムハンマドの死後、後継者争いは三つ巴で行われた。
第一はムハージルーン、第二はアンサール、第三はクライシュ族のウマイヤ家の人々である。
結局、アラビア世界の慣行に従って、選挙で決められる事になった。
そして、ムハージルーンの長老で、ムハンマドとは親友であり、ムハンマドの妻アイーシャの父でもあった『アブー・バクル』が後継者となった。
アブー・バクルは、「神の使徒の代理人(ハリーファ)」となり、ハリーファがなまって「カリフ」と表現されるようになった。
初代カリフのアブー・バクルから4代目カリフのアリーまでは、ムハンマドと身近であった上に、その教えを直接受けた人達だったため、『正統4カリフ』と呼ばれている。