(『イスラム・パワー』松村清二郎著から抜粋)
620年に、ヤスリブ(後のメディーナ)から巡礼のためにメッカを訪れた6名が、ムハンマドの教えに感銘を受けて帰国した。
そして翌年に、6名のうち5名が、新たに7名の者を連れてメッカ巡礼に来た。
彼らはメッカ郊外のアカバの谷で、密かにムハンマドと会合し、ムハンマドの教えに従うと誓った。
これが、『第一のアカバの誓い』である。
続いて翌622年に、75名のヤスリブの代表者が、再びアカバでムハンマドと密会した。
そしてムハンマドを預言者と認めて、武力にかけても守ると誓った。
これが、『第二のアカバの誓い』である。
(『世界の歴史⑧ イスラーム世界の興隆』から抜粋)
621年に、メッカに住むムハンマドの許に、ヤスリブから12名の男達がやってきた。
彼らはメッカ郊外のアカバの谷間でムハンマドと密会し、「教えに従う」と誓った。
当時は貧しい家庭に女の子が生まれると、これを間引きする(殺す)習慣があった。
ムハンマドは、その廃止を諭した。
この誓いは、戦いの条項を含まないゆえに、「婦人の誓い」あるいは「第一のアカバの誓い」という。
622年6月には、2人の女性を含む75名がヤスリブから来て、再びアカバでムハンマドと密会した。
そして、ムハンマドを神の使徒と認め、神とムハンマドのために戦うことを誓った。
この誓いは、「戦いの誓い」あるいは「第二のアカバの誓い」という。
ヤスリブは、メッカから400kmほど北にある、オアシスの集落である。
そこに住むアラブ人は、アウス族とハズラジュ族に分かれて抗争していた。
ヤスリブの人々は、ムハンマドが調停者としてうってつけだと見なしたのである。