(『世界の歴史⑧ イスラーム世界の興隆』から抜粋)
ウマイヤ朝の第5代カリフであるアブドゥルマリクは、第二次内乱を終わらせて、ウマイヤ朝を建て直した。
694年にアブドゥルマリクは、ハッジャージュ将軍をイラク総督に抜擢した。
弱冠33歳のハッジャージュは、シーア派ムスリムの拠点であるクーファに、わずか12名の従者と乗り込んだ。
そして、シーア派を弾圧し、多くのシーア派ムスリムを殺しながらイラクの治安を回復した。
その後ハッジャージュは、704年にクタイバを東方遠征の司令官にし、クタイバはブハラとサマルカンドを征服した。
この遠征により、中央アジアがイスラーム化する端緒が開かれた。
同時期に、アラブ軍は北アフリカでも征服を行った。
将軍ムーサーは、ビザンツ勢力を駆逐しつつ、チュニジアの軍営都市カイラワーン(670年に建設)を拠点にして、西方に侵攻した。
ムーサーは、モロッコまで征服した。
ムーサーの部下の将軍ターリクは、711年にジブラルタル海峡をわたり、イベリア半島(現在のスペイン)へと進攻した。
このイスラームの進軍は、732年にトゥール・ポワティエ間で、カール・マルテルによってようやく食い止められた。
ちなみにジブラルタルとは、ジャバル・ターリク(ターリクの山の意味)の訛りである。
こうして8世紀の前半には、ウマイヤ朝の版図は最大に達した。
各地の総督たちは、交易路の整備と安全確保に力を注いだ。
そのため商人や職人の移動は活発になり、ムスリム商人の進出はイスラム教の拡大に貢献していった。