(『イスラム・パワー』松村清二郎著から抜粋)
628年3月にムハンマドは、メッカのはずれのフダイビヤで、コライシュ族の代表と会合した。
そして、盟約を結んだ。
盟約の内容は、コライシュ族との10年間の休戦、ムハンマドたちの翌年のメッカ巡礼の実施などである。
(ムハンマドは、メッカを出てからは、メッカに帰還できない状態が続いていた)
(『イスラム世界のこれが常識』から抜粋)
ムハンマドは、ハイバル襲撃(628年5月)の直前に、メッカへの巡礼を思いつき、1500人の信徒と共にメッカのはずれのフダイビーヤに赴いた。
そしてメッカ側と交渉をした結果、10年間の休戦協定(フダイビーヤ和約)が成立した。
ムハンマドのメッカ巡礼は翌年に実施され、彼は2000人の信徒と共に平和裏に巡礼した。
和約により、メッカの多くの民がイスラム教に改宗した。
(『世界の歴史⑧ イスラーム世界の興隆』から抜粋)
ムハンマドは628年3月に、千数百名のムスリムを率いて、メッカ巡礼に出発した。
メッカ側が町に入るのを拒否したので、郊外のフダイビヤに野営して、長期の交渉に入った。
そして、『フダイビヤの盟約』が成立した。
内容は次の通り。
① ムスリムとクライシュ族は、10年間の休戦をする
② ムハンマド側もクライシュ族も、誰とでも自由に同盟を結べる
③ 1年後に、メッカ市民はムスリムが巡礼するために、
3日間町を明け渡す
翌年にムスリムは、この盟約により平穏のうちにメッカ巡礼を行えた。