(『イスラム・パワー』松村清二郎著から抜粋)
イスラム軍は、優秀なアラブ馬とラクダという、当時は最大だった機動力を武器にして、対外征服をした。
イスラム軍は略奪を目的に遠征を始めたが、勝利につぐ勝利を挙げた結果、イスラム帝国の創設へと繋がった。
被征服民がイスラム教に改宗したのは、貢納を免れるためだった。
第2代カリフ・ウマルの時代に、イスラム軍はビザンチン帝国とササン朝ペルシャ領を、次々と征服していく。
最大の戦果は、635年9月のダマスカス占領であった。
これにより、シリアがイスラムの手に落ち、ビザンチン帝国は衰退した。
イスラム軍は、ペルシャ、エジプトも支配化に入れた。
砂漠の田舎者たちが、武力で花の都を占領したのだった。
第四代カリフのアリーの死と共に、共和主義的なカリフ制は終わりを告げた。
そして、ムアーウィヤを始祖とする『ウマイヤ朝』が成立した。
ウマイヤ朝は、イスラム史上初の王朝であった。
ウマイヤ朝は世俗主義をとり、自分たちが後進国であることを認め、先進文明を貪欲に吸収していく。
彼らは田舎者だったので、征服地の統治には従来の制度を踏襲し、旧来の支配階級を利用するしかなかった。
(2013年3月17日に作成)