私は、熱狂的な『情報公開の信奉者』です。
「情報公開は、すればするだけ世界は良くなる」と信じているくらいです。
ただ今は、「特定秘密保護法案」が世間を騒がせており、多くの方が法案に反対をしています。
私もこの法案には反対していて、いくつも記事を書いています。
この法案については、多くの人が、「法案には反対だが、政府(行政)には秘密は必要だ」と言います。
これが、私には理解しづらいし、歯がゆいのです。
多くの人は、「軍事や外交には、秘密が必要だ。それが無いと、国家の安全は守れない」と言います。
「政府には秘密が必要だ」という意見の根底には、この考え方があります。
しかし、本当にそうなのでしょうか?
私が歴史を学ぶ限りでは、『軍事について機密にすること』こそが、各国の疑心暗鬼を増幅させて、軍拡競争を招いています。
つまり秘密は、国家を安全にするのではなく、危険に追い込んでいるのです。
歴史を見ると、秘密を基盤にした軍事開発を続けた結果、どんどん危険な兵器が開発されてきました。
もし軍事情報が公開されていれば、「そんな兵器が誕生したら、やばすぎる」との声が大勢を占めて、核兵器などは創られなかったでしょう。
そもそも、情報が公開されていたら、多くの人は「大量の人を一気に殺せるものを作ること」自体に強い違和感を感じて、拒否すると思います。
それが、人間の自然な感覚ですよ。
軍事活動は、公けの場に出したら、醜い行為すぎて誰も賛成しないようなものばかりです。
だからこそ、兵器開発や、他国への諜報活動や破壊活動は、「秘密指定」されるのです。
二度の世界大戦や、米ソの核兵器の保有競争など、『世界の滅亡の危機』は何度もありました。
その経験をしているのに、未だに自国の勢力伸張に執着して、各国が秘密主義で軍拡競争を続けるなんて、アホすぎです。
その事に多くの人が気付かないのは、不思議で仕様がないです。
私が思うに、多くの人は「自分が攻撃されて、やられてしまうのではないか」と、不安で一杯なのでしょう。
それゆえに、冷静な判断力や、常識的な感覚を失ってしまうのです。
自民党の石破茂さんなどの軍拡主義者は、「いつ攻撃されるか分からない。安全を担保するには、相手よりも強い兵器を沢山持たなければならない」と、怯えたような表情で語ります。
こうした人を見ると、「いつも不安を抱えて心配そうにしており、夜に寝るのさえ苦労してそうだな」と、可哀相になります。
こうした不安ゆえに多くの人は、
「私が、あなた方の安全を守る! そのためには、私に強大な権限を(独裁権)を与えてほしい!」
と主張する人物に、魅力を感じてしまいます。
そして、「この人なら、私の安全を守ってくれそうだ。この人にすべてを任そう。」といって、従属してしまうのです。
『不安を煽る人物の登場 → 危険を煽られて人々が不安で一杯になる → 人々が安全のためにと思って権利を放棄 → 独裁制の完成(不安を煽った人物の勝利)』
このストーリーが、今まで何度も起きてきた「独裁制の誕生」の流れです。
権力を掌握したい人や集団にとっては、
「今は、危険で一杯だ。
あなた方は、それを分かっていない。
このままではいけない。
危険を避けるために、もっと私たちに力を与えて欲しい。」
というのが、一番の方法なのです。
このように言えば、人々は権利を手放しやすいからです。
この真実を、ぜひ理解していただきたいです。
どうもこの事が、まだ世間に理解されていません。
そもそも秘密というものは、『一部の人だけで情報を独占し、物事の処理・決定まで非公開で行う』事です。
それゆえに、秘密を増やせば、必然的に一部の人だけが強い立場に立てます。
秘密を公式にたくさん作って、それを独占するのは、権力志向の人が必ず目指す事です。
それを実現させれば、権力を強化・安定させられるからです。
そして、単純に「権力強化のために秘密を作りますよ」といっても誰も納得しないので、「安全保障のためだ」とか「外交を有利にするためだ」などと理屈をつけるのです。
秘密のすごい所は、もう1つあります。
『失敗・失政をした時に、それを隠したり誤魔化したりできる』のです。
これはオイシイですよ。
実力の無い人や、権力を維持させたい人には、最高の道具です。
今の特定秘密保護法案でも、冷静に観察すれば見抜けるのですが、政府や権力者は不安を煽りたてています。
そして「機密を増やす事など、権力を一極集中させる事は、国民の安全のためだ。あなた方のためなのだ。」と言って、国民から自由や権利を奪おうとしています。
本当は自分たちのためなのに、「あなた方のためなのだ」と恩着せがましく言い、行為を正当化・美化する。
ずる賢い人がよくやる手口です。
このレトリック(詭弁)に、気付きましょう!
「そんな古臭いやり方に、私たちが騙されると思っているのですか? 舐められたものです。ちゃんと真意を見抜いていますよ。」と、言い切りましょう!
話をまとめると、『人々が、権力の集中を認めたり秘密を容認するのは、不安が根底にある』という事です。
『神との対話』では、こう説いています。
「あなた方は、自分の安全や幸福を欲しがるあまり、不安にかられて、自由や権利や幸福を放棄してしまう。
自由・権利・幸福を抑圧する政府や政策を、受け入れてしまう。
それは、本末転倒の行為だ。」
この意見は、慧眼の極みだと思います。
『神との対話』では、さらに次のように論理を展開します。
「あなた方の安全は、完全に保証されている。
なぜなら、あなた方の本質は魂であり、不死だからだ。
肉体は、単なる一時的な道具にすぎない。
この真実に気付けば、恐れは無くなり、恐怖を煽る抑圧者に屈服する事もなくなる。」
これについては、『悟りの境地』に近いので、到達するには時間がかかるかもしれませんね。
ちなみに、私はほぼ到達しております。(たまに不安に襲われる瞬間が、まだあります)
話がだいぶ霊的な方向に行きましたが、私が言いたいのは、
「人々から不安が減って、冷静な視点で物事を捉えられるようになれば、『秘密は必要ではない(平和の役に立たない)』と気付く」という事です。
霊的な世界(霊的な価値観)では、「人間は霊的に進化すればするほど、不安を手放し、あらゆる情報を恐れなく公開するようになる」とされます。
バシャール(別の星の、非物質的な存在)は、「私たちの世界では、あらゆる情報が共有されていて、誰でも必要な情報に何時でもアクセスできるシステムになっています」、と言います。
私は、こうした話に、説得力と憧れを感じます。
「地球人も、これを目指そうぜ!」と思うのです。
これからは、国家レベルの情報も、企業や自治体レベルの情報も、個人レベルの情報も、ばんばん公開していくと良いと思います。
不安から開放されれば、「あれっ、この情報を隠す理由って、実はないな」と思う事の連続になります。
情報公開を自ら実践するために、私のウェブサイトでは『私の提案』のページで持っている(閃いた)アイディアを公開したり、『エッセイ』などに私のこれまでの人生を公開したりしています。
かなり勇気がいる時もあるのですが、信念を持って行ってきました。
私は、今回の『特定秘密保護法案』での論争を見ていて、
「最終的には、これは人々の意識の問題だ。
人々が、情報をどのように認識しているか、そこの問題なのだ。
人々がもっと冷静になれたら、『情報を統制することが平和や幸福に繋がる』なんていうおかしな考え方にはならない。」
と痛感しました。
だから、ここで私なりの『情報についての認識、これからの情報の在り方について』を書きました。
『情報=皆で共有して分かち合うもの』というのが、究極の真実だと、私は信じます。