私は高校時代から、「学歴社会は、日本人を不幸にしているし、人間の評価基準として機能していない」と思い続けています。
高校の時は、論理的な意見にはなっておらず(自分の体験から直感した状態だった)、他の人を説得する意見にまとまっていませんでした。
それから20年弱が経ち、「学歴社会は日本人を不幸にしている、人間の可能性を奪っている」との思いはますます確信になり、自分の意見が一つの形にまとまりました。
ここでその意見を述べ、新しい世界を提案いたします。
○ 学歴社会の歴史
まず、『学歴社会の歴史』を振り返りましょう。
そうする事で、学歴社会の本来の意味・目的が分かり、現在では学歴社会が人々の幸福に役立っていない事が理解できます。
現在の「学歴によって就職や出世が決まる」というシステムは、『明治時代』に始まりました。
(江戸時代の藩校や、中国の科挙にさらに遡ることも可能でしょうが、私は今のシステムは明治に源流があると考えます。)
明治時代は、「欧米に追いつくために必死になっていた時代」でした。
国力がないと『植民地』にされてしまう、そういう時代状況だったため、日本は富国強兵・近代技術の導入・欧米化を行って、植民地にされるのを防ぐ必要があったのです。
明治時代の前の江戸時代は、鎖国をして外国と接触していませんでした。
そのために、日本は技術力・科学力が進歩せず、欧米諸国に比べて圧倒的に劣っていました。
当時は、「弱い国は、強い国に搾取されて当然だ。搾取されるのが嫌なら、強国になれ。」という、『帝国主義時代』でした。
欧米諸国は日本に進出すると、「弱くてカモにできる国」と見なし、ガンガン日本から搾取を始めました。
(今も世界の状況が大して変わっていないのは、本当に悲しいです)
「このままじゃいかん。欧米に追いつかないと植民地にされる。」というのが、明治時代の日本の立場でした。
そして、「国力の基本は教育だ! 国民の民度や学問のレベルを上げる事が、国力の充実の基本となる。」と考え、小学校から大学まで次々と設立していきました。
(それまでの日本には、現在のような学校はありませんでした)
しかし、当時の国力では予算に限りがあり、大学もあまり設立できず、限られた人にしか高等教育が出来ませんでした。
さらに、海外に行かないと最新の科学・技術を学べないため、優秀な成績の人を政府は海外留学させたのですが、当時は海外に留学するのはとってもお金や時間がかかりました。
(当時は日本の輸出品目は少なく、日本は経済小国でした。
また、まだ飛行機がない時代で、海外への移動は船でしたが、円が弱かったのもあり、留学費用は莫大な金額が必要でした。)
この状況のために日本は、次の方針を採りました。
『優秀な学生を選抜して、高等教育を行う。
そして、その中でも優秀な者を海外留学させて、最新の学問を学ばせ、帰国後は指導者として日本をリードさせる。
こうやって、日本全体を底上げしていく。』
この『エリートを選抜・養成して日本をリードさせるシステム』が、学歴社会となったのです。
つまり、「本当は全員に高度な教育を施したいが、国力・予算の関係で出来ない。とりあえず、一部の人から実施していく。」という事だったのです。
本来は過渡的な方法として、一部の人を選抜して高度な学問教育をさせるはずでした。
ところが、いつの間にか、「大卒や海外留学をした者は、特権的なエリートであり、大衆はそのエリートに従うのが正しい」という変な神話に、すり変わってしまったのです。
さらに、大学にランクが出来て、そのランクで就職や出世が決まるというシステムに、変化しました。
そして、そのシステムが現在では、日本人の可能性を縛る元凶になっています。
○ 学歴システムが、現在ではもう機能していない事を解説する
次に、いかに『学歴システム』が現在では機能していないかを、説明します。
まず、上記したように、このシステムは『過渡的なもの』でした。
本当は、「国民全員に高度な教育を施したかった」わけです。
さて、今の教育状況を見てみましょう。
現在は学校が有り余るほどに設立され、『大学に全員入学できる』状況になっています。
この事は、「教育レベルが下がる」などと問題視している人がいますが、『明治時代に夢見た事が、ようやく実現された』というのが、正しい解釈だと私は思います。
根本的に、あらゆる人が大学まで行って学べるのは、すばらしい事なのです。
明治時代の人に、「平成の社会では、全員が大学に行けるんです」と話したら、「天国みたいですね」という言葉が返ってくると思います。
現在は、あらゆる人が高度な学問教育を受けられるのだから、もう「エリートを選抜する」必要は無いです。
あとは、本人の努力にまかせればいいんです。
さらに、昔と違い今は、図書館も充実し、各種の講座、インターネットなどもあり、『勉強できる場』が沢山あります。
そして、個人での海外留学も、簡単に出来ます。
もう国内の状況が、明治の頃とは全く違います。
最新の学問が、誰でも簡単に学べるのです。
明治時代から長らく、『東京神話』がありました。
「東京が学問の中心であり、東京に出て学ばないと、本物になれない」という神話です。
これは、当初は正しい認識でした。
明治の頃は、学校は少なく、教えられる教師も少なく、地方はまだ学べる環境が出来ていませんでした。
必然的に、東京とその他の場所では、学問の質に大きな差がありました。
今はどうでしょうか。
学校は多く、専門知識のある教師も多く、地方の環境も充実しています。
これらは、今までの日本人の努力の結晶です。
日本はもう、環境が大きく変化しているのです。
もう一つ、ここ数十年で大きく変わったことは、『寿命が延びた』ことです。
明治の頃は、人生は50年でした。
それが今では、人生は80年です。
学歴システムは、「20歳前後の時点で、その人間の能力評価を決定するシステム」ですが、人生50年の20歳と、人生80年の20歳では、全く意味合いが違ってきます。
この点からも、学歴システムは今と異なる社会を前提にしており、もう機能していないと分かります。
(※ここまででかなり文章が長くなったので、2回に分ける事にします。後半はこちらのページです。)