ケネディ暗殺事件の真相をサント・トラフィカンテから聞く

(『ゴッドファーザー伝説(ジョゼフ・ボナーノ一代記)』ビル・ボナーノ著から抜粋)

1963年11月のケネディ暗殺事件には、私もショックを受けた。

2日後に、1本の電話がかかってきて、テレビを点けるように言われた。

テレビを点けると、ジャック・ルビーがダラス郡刑務所の地下でオズワルドを射殺した直後のシーンが映し出されていた。

私は見ているものを信じることが出来なかった。

ジャック・ルビーは、我々マフィアの世界では有名な男で、私はよく知っていた。

彼は正式なマフィアのメンバーではなかったが(彼はユダヤ教徒だった)、何でも屋であり、荒っぽい仕事をいとわずにする男だった。

彼のことは、シカゴ、ニューオーリンズ、キューバで見たことがあったが、彼は(シカゴ・マフィアのボスである)サム・ジャンカーナにべったりとくっついていた。

私はスミッティ・ダンジェロに電話して、「タンパに急行して何らかの答えを見つけろ」と指示した。

フロリダ州タンパは、サント・トラフィカンテの本拠地で、トラフィカンテはテキサス、ニューオーリンズ、シカゴのマフィアと盟友関係にあった。

サント・トラフィカンテは、あっさりと真相をスミッティ・ダンジェロに話した。

トラフィカンテのファミリーが、カルロス・マルチェッロのファミリーとサム・ジャンカーナのファミリーと共に、ケネディ暗殺に関わっていた。

ジミー・ホッファも関わっていたが、さほどの責任は負ってなかった。

帰ってきたダンジェロの報告は、こうだった。

「サントが言うには、あれは地元の問題で、万事は処理されているとのことだ。

ケネディ暗殺には(亡命)キューバ人が関与しており、オズワルドは捨て駒だった。

オズワルドを警官のティピットが殺すことになっていたが、オズワルドが彼を殺してしまった。

それが奴らがルビーを(刺客として)使った理由なんだ。」

「地元の問題か」と、私はつぶやいた。

我々の世界では、その言葉の意味は「よけいな口出しをするな」だ。

サントによれば、暗殺に参加したファミリー以外は影響を受けることはないという。

スミッティ・ダンジェロから報告を聞いた翌日の夜、私はニューヨーク・マフィアのファミリーたちに声をかけて、会合をもつことにした。

ルッケーゼ・ファミリーのカーマイン・グリブス、ジェノヴェーゼ・ファミリーのトミー・エボリ、マグリオッコ・ファミリーの幹部、そしてニュージャージのサム・デカヴァルカンテが来た。

ダンジェロが、トラフィカンテから聞いた事を話すと、何人かが驚きのつぶやきを漏らしたものの、我々の世界では情報は少ないほうが安全だと理解しているため、質問はほとんど出なかった。

我々には、ケネディ暗殺に参加したマフィアたちの動機が、よく分かった。

ニューオーリンズ・マフィアのカルロス・マルチェッロは、ロバート・ケネディ司法長官によって国外追放されていた。

マルチェッロはアメリカに帰国したが、再逮捕されて裁判にかけられていた。

サント・トラフィカンテは、ピッグス湾侵攻の失敗と、司法省が南フロリダで麻薬密輸の撲滅作戦をしていることを、ケネディ家の裏切りと感じていた。

彼は「JFKは、再選の前に少なくとも一度は撃たれる」と、友人たちに吹聴していた。

サム・ジャンカーナがケネディ兄弟を憎んでいるのも、周知の事実だった。

ジミー・ホッファも司法省に追及されていて、「ケネディ兄弟が排除されるのを見たい」と公言していた。

ケネディ暗殺は、アメリカ政府の関与も明白だった。

暗殺現場の警備の緩さや、ジャック・ルビーがオズワルドを郡刑務所内で射殺できたのを見れば、すぐに分かった。

フーバーFBI長官は、ケネディ暗殺計画を数ヵ月前に知っていたが、無視した。

暗殺後も、手がかりを無視したり廃棄した。

私は独自のコンタクトを通じて、フーバーが捜査を封じたことを知った。

ケネディが殺された時、訓練を終えようとしているエリート捜査官の一団がいた。
彼らは専門技術を持っており、暗殺現場のダラスへ派遣してほしいと要請したが、きっぱりと拒否された。

私がそのことを知ったのは、その部隊の一員だった者からである。

フーバーがケネディ家を憎んでいるのは、我々にはよく知られていた。

かつて密造酒の業者だったルイス・ローゼンティールが、フーバーとバイセクシャルの親友だったからだ。

ローゼンティールは、弁護士のロイ・コーンを通じて、フーバーがケネディ大統領に自分の留任を求めており、ケネディに脅しをかけていた事を教えてくれた。

フーバーはケネディ大統領の所へ行き、「もし自分を留任させなければ、あなたとジュディス・キャンベルの情事を暴露する」と脅したのだ。

フーバーはこの時、証拠となる盗聴記録などを提示したという。

私は、キューバ・コネクションのことも考えざるを得なかった。

マルチェッロ、トラフィカンテ、ジャンカーナ、ジミー・ホッファは、亡命キューバ人を通じてCIAと関係していた。

CIAと彼らは手を組み、キューバ首相のフィデル・カストロの暗殺を企てていた。

その企てには、「AMLASH」というコードネームまであったのである。

私はカナダに飛んで、父(ジョゼフ・ボナーノ)にもこの件を報告した。

父はがっかりした様子で、こう言った。

「こんな事になったのは、リーダーシップが欠如していたからだ。

コミッションが機能していれば、こんな事は起こらなかった。

政府の人間を殺さないのは、ジャーナリストを殺さないのと同じく、昔からの了解事項だったんだ。
それが我々の伝統なんだ。

ケネディ暗殺に関わった連中は、我々の同類ではない。
あいつらの放った銃弾は、我々に対する攻撃でもあるんだ。」

ケネディ暗殺から1年後、ロバート・ケネディ司法長官は依然としてマファイア撲滅作戦に取り組んでいた。
私の父も狙われていた。

私は、マフィアとアメリカ政府の繋ぎ役をしているロイ・コーン弁護士と会って、相談した。

フーバーFBI長官は昔から、マフィアに対して首を突っ込まない方針を採ってきたが、時代は変わっており、フーバーも時代の流れに逆らえなくなっていた。

ロイ・コーンは、「良いものを見せてやろう」と言い、1つのフォルダを持ってきた。

フォルダの中には7~8枚の写真が入っていて、どれもフーバーが女装したところを撮ったものだった。

化粧をしてカツラを付け、カメラに向かってキスしようとしていたり、男の膝に座って抱きついたりしていた。

コーンは、「大半はルーイ(ルイス・ローゼンティール)が撮ったものだ。1948~49年にかけてで、フロリダ沖のボート・ハウスのパーティでの写真だ。フーバーはこの写真の存在を知っている」と言った。

そういう写真があるとの話は聞いていたが、見るのは初めてだった。

フーバーがマフィアに握られている弱みは、彼が賭博中毒者だという事だと、私はそれまで信じていた。

(※フーバーがマフィアと繋がり、賭博にはまっていた事は、『ダブルクロス』にも出てくる。
このページに書いています。)

「この写真をフーバーに見せたらどうだ?」とコーンは言った。

「そうしたとしても無駄だろう」と私は答えた。

(2022年11月11~12日に作成)


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