『ダブルクロス』の抜粋ページは、かなりの分量になり、登場人物も多いです。
そこで一番前に、登場人物と専門用語の一覧を置くことにします。
〇マフィア関連の用語
シンジケート
イタリア系の犯罪組織のこと
コミッション
シンジケートのボスたちのこと、およびその会合のことを指す
フォーティツー
ムーニーが10代の時に所属していたチンピラ・グループ
〇シカゴの人物
サム・ジアンカーナ(綽名はムーニー)
本作の主人公で、数々の悪事と裏切りを繰り返し、シカゴ・シンジケートのボスに昇りつめた。
そしてCIAと一緒にケネディ暗殺をした。
上院委員会に証人喚問で呼ばれる直前の1975年6月19日に、口封じで暗殺された。
チャック・ジアンカーナ
『ダブルクロス』の著者で、サム・ジアンカーナの実弟。
サムの下で長期にわたりマフィア構成員として働いた。
ボビー(ロバート)・ケネディ暗殺にムーニーが関与したのを聞き、完全に改心してジアンカーナ姓を捨てた。
アン・マリー
ジアンカーナ家の娘に家庭教師をしに来て、4年後にチャックと結婚した。
カール・トルシエッロ
アン・マリーの父。
ダイヤモンド・ジョー・エスポズィート
1920年代のシカゴ・シンジケートのボス。
酒の密造に欠かせない砂糖をキューバから密輸して大儲けした。
28年3月に手下のアル・カポネに殺された。
アル・カポネ
ジョニー・トリオに誘われてシカゴ・シンジケートに加わる。
ボスのエスポズィートを殺して勢力を拡大するが、セントバレンタイン・デーの虐殺など目立つ悪行の連発で長期刑となり、ボスの地位を失った。
ポール・リッカ
カポネが服役した後、シカゴ・シンジケートのボスになる。
マレー・ハンフリーズ
カポネが服役した後、シカゴ・シンジケートのナンバー・ツーとなる。
ジェイク・グーズィク
シカゴ・シンジケートの幹部の1人。
ユダヤ人で金融に強く、警察や政治家へ賄賂をわたす役もした。
トニー・アカード
ポール・リッカが1943年に有罪判決を受けて刑務所に入ると、後継者に指名されてシカゴ・シンジケートのボスになった。
エディ・ジョーンズ
シカゴの黒人街をおさめる黒人ギャング。
刑務所内でムーニーと知り合い、一緒にギャンブル事業などを行う。
やがてムーニーに裏切られ、誘拐されて脅迫され、全ての利権を渡してシカゴから逃げ出した。
テディ・ルー
エディ・ジョーンズの右腕だったが、ジョーンズがシカゴから逃亡した後は黒人ギャングのボスになる。
ムーニーと抗争するが負けて、1952年8月に射殺された。
ファット・レナード
ムーニーの有力な部下で、副ボスをつとめた。
黒人ギャングとの抗争で戦死した。
ジョニー・ロゼリ
シカゴ・シンジケートの代表として、ラスベガスやハリウッドで活動した。
CIAとの交渉も担当した。
1976年に上院委員会で証言した後、フロリダでドラム缶詰めのバラバラ死体となって発見された。
ジョーイ・グリムコ
シカゴ・ティームスターズを率いて、組合資金を横領するなどの悪事を行った。
ルイス・マクウィリー
ムーニーによってキューバに送られ、ハバナで賭場トロピカーナを取り仕切った。
テキサス出身で、ジャック・ルビーやフランク・フィオリーニ(別名フランク・スタージス)と共にアメリカ国境の南で銃や麻薬の密売をした。
ガス・グリーンバウム
元はアル・カポネの手下で、ラスベガスが賭場として開発されると、シカゴ・シンジケートの代表としてラスベガスに送り込まれ、賭場の支配人として活動した。
上前をはねたため1958年12月に処刑され、バラバラ死体となって発見された。
ジャック・ルビー
シカゴ・シンジケートの一員だが、各地に派遣されて密輸や交渉に従事した。
ピッグス湾侵攻でCIA作戦に加わり、麻薬や武器の横流しでCIAと協力するなど、CIAとの共同任務で本領を発揮していたため、ケネディ暗殺では現場責任者に起用された。
殺す予定だったオズワルドを殺しそこねた作戦ミスの責任を取り、自らオズワルドを射殺した。
刑務所入りしそのまま獄中死した。
リチャード・ケイン
ムーニーの配下で、数ヵ国語を話せるためCIAの工作員もつとめた。
ムーニーの右腕まで出世するが、FBIのスパイになり、さらにボスの地位を狙ったため1973年12月に暗殺された。
ケネディ暗殺の実行犯の1人で、教科書倉庫ビルから狙撃した人物。
シカゴ警察にいた事もあり射撃訓練を受けていたため、腕が良かった。
チャッキー・ニコレッティ
ムーニーの配下で殺し屋。
ケネディ暗殺の実行犯の1人で、ケインと一緒に教科書倉庫ビルから狙撃した。
1977年に、下院特別委員会による証人喚問が決定した直後に殺された。
ミルウォーキー・フィル
ムーニーの配下で、ケネディ暗殺の実行犯の1人。
〇ニューヨークの人物
フランク・コステロ
ニューヨーク・シンジケートの有力なボス。
ムーニーと気が合い、一緒に様々な悪行を行った。
ラッキー・ルチアーノ
コステロの前にニューヨークのボスだった。
シンジケートの全国組織化を進めた。
1936年に投獄されたが、トーマス・デューイへの賄賂が効いて1945年に国外退去を条件に釈放され、イタリアに移住した。
マイヤー・ランスキー
ルチアーノの盟友で、ニューヨークのボスの1人。
ユダヤ人で金儲けが上手く、シンジケートの海外進出で手腕を発揮した。
バグジー・シーゲル
マイヤー・ランスキーの指令で、ラスベガスに最初のカジノ・ホテルとなるフラミンゴを建設した。
ラスベガス開発を始めた功労者だが、売上を着服したのがばれて1947年6月に殺された。
ヴィト・ジェノヴェーゼ
ニューヨークのボスの1人。
ニューヨーク最大のボスになるのを目指し、色々と画策してフランク・コステロと抗争する。
1958年春にニューヨークのボス達とムーニーに嵌められて、刑務所送りになった。
そのまま1969年に獄中死。
アルバート・アナスタシア
ニューヨークのボスの1人で、殺し屋を抱えていて、殺しを請け負う組織を率いた。
ヴィト・ジェノヴェーゼに嵌められて、1957年10月に暗殺された。
カルロ・ガンビーノ
ニューヨークのボスの1人。
ムーニーとはヨーロッパでの麻薬密輸やギャンブル事業で提携した。
〇その他の人物
サントス・トラフィカンテ
フロリダ・シンジケートのボス。
海外(特にアジア)との麻薬取引で儲けた。ムーニーと組んでアメリカへの麻薬密輸入を行った。
CIAとの関係が深く、麻薬の密輸で提携し、カストロ暗殺作戦やケネディ暗殺作戦でも協力した。
カルロス・マルセロ
ニューオーリンズ・シンジケートのボス。
シマはルイジアナ州とテキサス州。
ムーニーと協力して、ジャック・ケネディ(JFK)の大統領当選に尽力した。
だがケネディ政権はマフィア撲滅を掲げ、マルセロを逮捕してグアテマラに追放した。
マルセロは深く恨み、ケネディ大統領を賞金首にし、マフィア仲間に「暗殺したら大金を渡す」と触れ回った。
そしてCIA主導のケネディ暗殺作戦に参加した。
ジミー・ホッファ
ティームスターズ(トラック運転手の労働組合)のボス(委員長)。
デトロイト出身の元殺し屋で、シンジケートの一員。
1975年に行方不明となり、殺害されたと見なされた。
この殺しにはムーニーが関わっているという。
ジョー・ケネディ
ケネディ大統領の父。禁酒法時代にシンジケートと組んで密造酒を売りさばき、莫大な財を成した。
競馬場利権、映画産業にも進出し、さらに金を稼いだ。
ジャック・ケネディ(JFK)
シンジケートの支援を得てアメリカ大統領になった。
大統領になると手の平を返し、シンジケートを見捨てて取り締まりを強化したため、激しい恨みを買った。
CIA、シンジケート、亡命キューバ人の共同作戦により、1963年11月に暗殺された。
ボビー(ロバート)・ケネディ
ジャックの弟で、ジャックが大統領になると司法長官に就任した。
司法長官として、ケネディ政権でのシンジケートの取り締まりを主導した。
彼も1969年にCIAとシンジケートによって殺害された。
フランク・シナトラ
歌手や映画俳優をしていたが、シンジケートとの繋がりが深く、ムーニーとケネディ家の仲介役もしていた。
ジャック・ケネディが大統領になるのに尽力したが、大統領になったジャックから冷遇され面目を失った。
フランク・フィオリーニ(別名フランク・スタージス)
金で雇われる傭兵で、CIAやリチャード・ニクソンの下で働いた。
CIAの秘密作戦に数多く従事し、カストロ暗殺作戦やケネディ暗殺作戦にも参加した。
後にはニクソン大統領に雇われて、ウォーターゲート事件の実行犯となった。
ボブ・メイヒュー
CIAの工作員で、シンジケートとの連絡役をした。
表向きの顔は私立探偵。
ガイ・バニスター
ムーニーの知り合いで、表向きの顔は私立探偵だが、実際にはCIAに雇われており秘密工作に従事した。
亡命キューバ人の軍事訓練をサポートしたりもした。
J・D・ティピット
ダラス警察にいたCIAのスパイで、ケネディ暗殺後にカモとして仕立てられた単独犯オズワルドを、ロスコー・ホワイトと共に射殺することになっていた。
だが怖気づいてオズワルドを逃がしてしまい、仲間のホワイトに射殺された。
ロスコー・ホワイト
ダラス警察にいたCIAのスパイで、ティピットと一緒にオズワルドを殺す役目だった。
だがティピットのミスでオズワルドは逃げ、このままだと責任を取らされるのでティピットを射殺した。
(2018年9月26日から作成
11月15日に完成)