(『貧困襲来』湯浅誠著から抜粋)
20代30代の若者で、生活が成り立たなくなる人達が増えています。
私はその人達を、「生活困窮フリーター」と呼んでいます。
世のフリーターの多くは、低所得かもしれないが、必ずしも「貧困」ではありません。
月収15万円でも、親元に住んでいれば、それほど生活は苦しくないはずです。
恋人と一緒に住んでいれば、2人合わせれば30万円になる。
貧困とは、お金だけの問題ではないのです。
貧困を決めるのが収入だけでないとしたら、あとは何なのでしょうか。
私は、『5つの排除』があると考えます。
① 教育課程(学校教育)からの排除
② 企業福祉(正規雇用)からの排除
③ 家族福祉(家族の支え合い)からの排除
④ 公的福祉(生活保護など)からの排除
⑤ 自分自身からの排除
この5つの排除が重なると、人は貧困になります。
それを説明していきます。
① 教育課程(学校教育)からの排除
これは、中卒や高卒の人の事です。
早くに教育課程から排除されてしまう原因は、家庭の事情・学校でのいじめ・自分で飛び出てしまう人など、様々です。
排除されると、条件のいい就職や正社員採用が難しくなります。
② 企業福祉(正規雇用)からの排除
これの代表例は、非正規雇用です。
非正規雇用は、低賃金で保障はなく、有給休暇もありません。
傷病手当や休業補償もありません。
これらは労働基準法で認められている権利ですが、行使しにくい状況になっています。
この排除では、労働組合に入れないから、組合の共済も受けられません。
(※最近は、非正規雇用者の入れる組合も生まれてきているようです。すばらしい事だと思います。)
さらに、勤務先では「モノ扱い」されます。
社会人にとっては、仕事の時間が一日の大半を占めます。
そこで人間扱いされないのは、とてもキツイ。
③ 家族福祉(家族の支え合い)からの排除
これの代表例は、家族に頼れない事情のある人達です。
親の収入が少なかったり、親が若くして亡くなったり、片親しかいなかったり、親がホームレスだったりする家庭です。
昔は、「パート労働」は主婦のバイトでした。
それが今では、一家の大黒柱がパート労働になってきています。
コンビニやファストフード店のバイトは、昔は大学生でした。
それが今では、中高年の人が増えています。
最近は、「中年で家族持ちのワーキング・プア」が増えています。
しかし、2世・3世ばかりの政治家には理解できず、「足りないのは家族愛だ」と言っています。
④ 公的福祉(生活保護など)からの排除
もともと日本では、公的福祉が貧弱です。
日本政府は、「働けないし身寄りもない人だけに対応するのが、公的福祉だ」と思っています。
働ける人は賃金でなんとかして下さい、という考え方です。
「死に物狂いで探せば、絶対に仕事は見つけられる。そして生活もできる。」
これが日本人の発想です。
日本女子大学の岩田正美さんは、これを『2つの神話』と呼びます。
①仕事は必ずある
②仕事さえすれば生活は何とかなる
しかし、この妄想により膨大な負け組が生産され続けています。
「生活保護など受けたくない」、これが一般の感覚です。
「生活保護を受けている人は甘えている」と思っている人は多い。
だが、生活保護を受けるかどうかは、プライド(やる気)の問題ではなく、『命の問題』です。
「まさか自分が受けるとは、想像もしなかった」、これが受けるに至った人達の感想です。
私はそういう人達を、ゴマンと見てきました。
日本人は、企業福祉や家族福祉を受けるのに抵抗はないが、公的福祉を受けるには強い抵抗があります。
(ヨーロッパでは、公的福祉を受けることへの抵抗は少ない)
⑤ 自分自身からの排除
これは、貧困を「自分のせいだ」と納得してしまう事です。
貧困状態について、世間から「努力すれば何とかなる、あなたは努力が足りない」と言われるため、「自分には生きる価値が無い」と考えてしまうのです。
世間は、結果で『努力したか』を判断します。
「成功している人は、努力した人」であり、「成功していない人は、努力していない人」というわけです。
この価値観では、すでに報われている人だけが、努力したと認められます。
そして成果の出ていない人は、「努力が足りない」と見なされます。
この結果、多くの人が「自分はダメなんだ…」と思わされています。
そして最終的には、『自分自身からの排除』が生まれます。
(2014.7.23.)