(以下は『貧困襲来』湯浅誠著から抜粋)
『自己責任論』は、権力を持つ人達が大好きな言葉だ。
この考え方は現在、社会のすみずみまで浸透しているので、言われた方もつい納得してしまう。
安倍晋三・首相の掲げる「再チャレンジ」も、自己責任論の上に立っている。
「失敗するのは本人の責任だ。だけど失敗して終わりだと可哀相なので、チャンスを与えましょう」という事。
非正規雇用であっても、たった1回の遅刻でクビを切るのは、労働基準法に違反している。
しかし日常的に起こっており、しばしば本人も「遅刻した自分が悪い」と思っている。
たった1ヵ月家賃を滞納しただけで追い出されるのは、借地借家法に違反しているが、押し切られてしまう事がある。
挙句の果てには、「借地借家法を知らないお前が悪い」と言われてしまう。
つまり、たった1人で会社や大家と対抗しなければならないし、それが出来なければ「お前が悪い」となってしまう。
「しっかりしろよ」と、どういうわけか被害者が責められてしまう。
本当は、貧困者に対しては「本人の責任かどうか」と問う前に、助けてあげなければならない。
雪の中で倒れている人を見つけた時に、「この人は、自分のせいでここに倒れているのか?」と考える前に助けるでしょう?
それと同じ。
どんな結果も自己責任ならば、動物の世界と変わらない。
戦後の日本は、福祉の中核は「企業」と「家族」が担ってきた。
福祉について、国はあまり熱心ではなかった。
例えば、日本には公営住宅が少ないし、教育にもかなりお金がかかる。
賃金だけでは生活が厳しいので、企業が福祉をしていた。
住宅手当を出し、社宅を用意し、終身雇用を保証した。
小さい工場でも、住み込みの仕事はたくさんあった。
これが、50代~60代の年齢の人が口にする「私たちは1人で頑張ってきた。若者はもっとしっかりしなさい。」の正体である。
彼らは、立派に守られてきたのだ。
彼らは国家に守られていなかっただけで、企業と家族に守られていた。
しかし今は、企業は福利厚生を大幅に削っているし、家族も支えきれなくなっている。
(2014年7月23日に作成)