(『貧困襲来』湯浅誠著から抜粋)
年収が1000万円の人と800万円の人は、格差はあるが貧困はありません。
全員が年収100万円ならば、格差はないが貧困社会です。
今の日本では格差が問題にされていますが、貧困が入らないと話が変わってしまいます。
政治家や財界人は、「活力ある社会のためには、ある程度の格差は必要だ」と言います。
しかし年収100万円の人が出ているのを、格差として受け入れていいのでしょうか?
「格差」という言葉は、議論をおかしくします。
安倍晋三・首相は、2007年の施政方針演説で「格差」に触れなかった事を記者団に問われて、「何が格差かは、定義が問題だ。記者の皆さんだって、それぞれ給料が違うでしょう?」と答えました。
安倍さんの発言は明らかにごまかしですが、追及しきれないのが格差という言葉の弱みです。
「貧困」は、言い逃れができない。
だからこそ、タブーになっているのです。
安倍政権は、「貧困」を嫌がっています。
印象的だったのは、2007年1月の塩崎恭久・官房長官の発言です。
塩崎さんが記者会見で「新しい貧困が問題だ」と言ったところ、中川秀直・自民党幹事長らから強く批判されました。
貧困という言葉は、自民党を切りつける事になりかねないからです。
「貧困」に比べて、「格差」ははるかに曖昧です。
もし下に合わせて格差を解消していけば、膨大な貧困が生まれます。
「大半の人を低い方に合わせて、一部の人だけが上に昇っていく」、それがアメリカ社会です。
「格差」とは、元々はそういう社会に向かっていく事への警鐘として使われ始めたものです。
(2014.7.23.)